茨城の山
茨城県で最後に残った4山に登ってきた。4つとも海沿いなので東日本震災の影響を心配しながらの山行となったが、幸いになことにいずれの山とも無事だった。
天神山は東海村にあり、原発の近くにある山だ。山の北側へ回り込むと登山口の案内板があった。その横を駆け上がるとあっという間に4等三角点と「県下一低い山17.4m天神山」との山名板があった。ここで地形図を見てみると天神山のピークはここから東に150mの位置で高度22mとなっている。そこでそちらの方に進んでみた。民家の上の薮を切り開いた高みがその位置だったが、それらしき標示は無かった。写真左は17.4Pで三角点峰だ、中央は22Pで地震による亀裂が入っていた
天妃山は磯原海岸にちょこっと突き出た小さな山で、弟橘媛(オトタチバナヒメ)神社の参道を上がると直ぐに山頂となる。今回の震災の津波は参道入り口を越えたようで、鳥居近くの灯篭は倒れていた。辺りの建物は波をかぶり瓦礫が散乱していた。急ぎ足で山頂社の裏手の3等三角点を確認し山を下りた。写真左は登り口となる鳥居、中央は天妃山全景で建物一階部分まで津波が来ていた
高天原は港ヶ丘児童公園となっており、山頂の位置にはフェンスに囲まれた社が建っていた。また、子どもたちが遊ぶ中でオヤジはかなり異様な存在で足早に公園を出た。写真左は山頂部にある社、中央は公園風景で高みには水道施設?
弁天山は鹿島工業地帯の鹿島南共同発電所の中にあり、許可を取らないと登ることが出来ない。この日はあいにく日曜日だったので、僅か20mほど先の山頂は踏めず写真だけを撮って撤退した。実際に山頂は踏んでないので登ったことにはならないが、地震騒動が落ち付いた頃に再訪出来ればと思う。写真左は発電所の守衛室横から見た弁天山
天神山は東海村にあり、原発の近くにある山だ。山の北側へ回り込むと登山口の案内板があった。その横を駆け上がるとあっという間に4等三角点と「県下一低い山17.4m天神山」との山名板があった。ここで地形図を見てみると天神山のピークはここから東に150mの位置で高度22mとなっている。そこでそちらの方に進んでみた。民家の上の薮を切り開いた高みがその位置だったが、それらしき標示は無かった。写真左は17.4Pで三角点峰だ、中央は22Pで地震による亀裂が入っていた
天妃山は磯原海岸にちょこっと突き出た小さな山で、弟橘媛(オトタチバナヒメ)神社の参道を上がると直ぐに山頂となる。今回の震災の津波は参道入り口を越えたようで、鳥居近くの灯篭は倒れていた。辺りの建物は波をかぶり瓦礫が散乱していた。急ぎ足で山頂社の裏手の3等三角点を確認し山を下りた。写真左は登り口となる鳥居、中央は天妃山全景で建物一階部分まで津波が来ていた
高天原は港ヶ丘児童公園となっており、山頂の位置にはフェンスに囲まれた社が建っていた。また、子どもたちが遊ぶ中でオヤジはかなり異様な存在で足早に公園を出た。写真左は山頂部にある社、中央は公園風景で高みには水道施設?
弁天山は鹿島工業地帯の鹿島南共同発電所の中にあり、許可を取らないと登ることが出来ない。この日はあいにく日曜日だったので、僅か20mほど先の山頂は踏めず写真だけを撮って撤退した。実際に山頂は踏んでないので登ったことにはならないが、地震騒動が落ち付いた頃に再訪出来ればと思う。写真左は発電所の守衛室横から見た弁天山
茨城の山へ出掛けてきた。
富谷山の南面は採石場となっていて、南西斜面の中腹にある富谷観音からだと採石場越えになるので東側にある破線から登ることにした。破線は左の尾根筋に続いているが作業道の道型が谷あいにある。ところがこの廃道は薮化していて僅かな踏み跡はイノシシのもので終始獣臭が漂い嫌な雰囲気だ。逃げるように右側の枝尾根に上がると背丈を超える笹薮となる。必死で薮を抜けると南側が削られた採石場の上部に出た。右手には高点が見えてきたので薮に再突入し最高点を踏んだ。枝に巻かれた赤テープが唯一の表示物だった。GPSが示す富谷山の位置はここから150mほど南西なのだが、その位置は砕石現場となりに消失してしまっていた。戻りは破線を追うように下ったが、途中で破線を外してしまい薮漕ぎを余儀なくされた。朝一から散々な山行となってしまった。登り54分、下り30分。写真左は山頂尾根筋から見たところで右の高みが高点で左の採石場に位置に消失した山頂があったようだ、中央は山頂があったところ付近から採石場を見たところ
次の城山はゴルフ場で南側を削られた山だ。地形図を見ると山の西側を送電鉄塔が通っているので、巡視路から上がりゴルフ場の北側を歩くことにした。巡視路を上がるとほどなく福島東幹線328号鉄塔となり、その手前に山の方に向かう踏み跡を見つけた。しかし直ぐに踏み跡は笹薮の中に消え、相変わらずの薮漕ぎとなった。小さな鞍部まで来ると行程中程で、最後の登りを薮を避けながら登り切ると城跡?の平坦地となり、その北側の高みが山頂で4等三角点、傍らに真新しい社とゴルフ場建設の記念碑が並んでいた。下りは往路を戻ったがかなりずれてしまった。往復36分。写真左は鉄塔巡視路の入口、中央は山頂平坦部の高みにある社
羽田山へは四方から登山道の波線があるが、今回は南東の登山口より入った。クルマも通れそうな幅の広い登山道はほぼストレートに続き、ほどなく南尾根上となると右へと方向を変える。背丈を超える笹薮の中に刈り払われた登山道が少しばかり続くと、いきなり倒木が散乱する斜面となった。踏み跡らしいものはほとんどなく、左右に倒木、灌木藪を避けながらの登りだ。これでもかという位の倒木の連続となりやっとのことで山頂となった。山頂には石祠と山名板、その南側に4等三角点があったが視界は無い。下山は往路を辿り、往復38分。写真左は倒木で塞がれた斜面、中央は山頂部
富士山は別名・柿岡富士と呼ばれており、西側からは近付くと名の通りの形で直ぐにそれと分かった。地形図の破線近くの車道を入ると墓地となり、その中を進むと山頂方向へ伸びる参道らしきものが見えてきた。勧請縄が下がっているので参道であることは間違いないようだ。墓地の余地にクルマを置き参道に入った。参道はほぼ真っ直ぐに伸びておりて、登りついた山頂には浅間神社の社が祭られていた。山名表示や三角点標石は見当たらなかった。往復16分。写真左は墓地の奥にあった参道口、中央は山頂の浅間神社
龍神山は富士山から東に向かうと山の中央をえぐり取られたような形で見えてきた。地形図によるとピークは砕石場の北側にあるので北東地点にある廃道跡から取りついた。相変わらず登山道らしきものは無く、植林地の中の薮を避けながら適当に登った。山頂尾根となりピークのある南に向かうが、GPSによると残り50m位で採石場となり先は深く切れ落ちていた。ここも採石によってピークが消えてしまったようだ。残った高点近くを探すも、それらしきものは見当たらず、往路を追うように下ったが大分外れてしまった。往復39分。この山の標高は山名事典では196mとなっているのでやっぱり消失しまったということだろう(南側の三角点峰は163m)。写真左は山頂付近でピークは採石場で消失か、中央は戻りに見た龍神山の全景で左側(北側)がピーク付近
閑居山は山名事典では227mとなっているが、地形図には山名は載っていない。山名事典の経度緯度と一致する地点に227mと記載されているのでこの地点を山頂と定め登ることにした。東西に伸びる山並みの南側に森林総合研究所千代田試験地という施設があり、その西隣りを山頂の東側へ伸びる林道が入っている。何処まで行けるか半信半疑でクルマを入れるとほどなく林道終点となった。踏み跡は2つあり、一つは林道の先の沢を越えて閑居山大師の方に向かっているようだ。そっちに向かうと遠回りになりそうなので南東尾根筋を目指し西に向かう踏み跡に入った。赤ペンキのマーキングが続き、ほどなく南東尾根筋となるとクルマも通れそうな幅広の尾根道となった。緩い傾斜をゆっくり進むと平坦な山頂となり東西に相変わらず幅広の道が貫いていた。山頂と思われる付近には案内標示があり各方面への案内が記されていたが、閑居山との記載はなかった。往復27分。写真左は南東尾根筋の車道のようなコース、中央は山頂にあった案内板
竜ヶ峰は所在がはっきりしなかった。山名事典の経度緯度の位置には県立中央青年の家の施設が建っていた。付近を探すも山頂表示らしきものは見当たらず、案内板には尾根伝いに南東へ行くと竜ヶ峰の山桜との表示があり、竜ヶ峰の文字を確認できたのはここだけだった。早速竜ヶ峰の山桜と書かれたところに行ってみたが、咲き出した山桜だけでピークらしきものは見当たらなかった。多分この一帯を竜ヶ峰と呼ぶのだろうと勝手に解釈して次に向かった。写真左は青年の家の前に設置されていた案内板、中央はその裏手の高み
剣ヶ峰も所在がはっきりしていない。244.8mの三角点標石の位置を山頂としているものもあれば、パラボラ山と呼ばれる山を剣ヶ峰としているものもあるし、その東側のパラボラアンテナが2基建つところを剣ヶ峰としているものもある。さらにはその東側の345mを山頂としているものもある。ただ標高は390mということなので、地形図からするとパラボラの建つ2つのピーク間がその標高にありその間を踏むことにした。フルーツラインを北上すると尾根筋の乗越え地点にハングライダーのフライト場がある。その反対側がパラボラアンテナへの管理道路の起点となっておりここから歩き出した。なだらかなコンクリート道を歩くとほどなくパラボラアンテナの建つピークとなった。ここから尾根筋を東へ向かい標高390m間の山頂尾根を踏んできた。その間には山名を表示する物は見当たらなかった。往復44分。(ちなみにこの記事を書くにあたりもう一度確認作業をしたところ、雪入ふれあいの里公園のHPでは345Pを剣ヶ峰としているようだ)。写真左は取り付いた管理道路の入口、中央は西側ピークのパラボラアンテナ塔
富谷山の南面は採石場となっていて、南西斜面の中腹にある富谷観音からだと採石場越えになるので東側にある破線から登ることにした。破線は左の尾根筋に続いているが作業道の道型が谷あいにある。ところがこの廃道は薮化していて僅かな踏み跡はイノシシのもので終始獣臭が漂い嫌な雰囲気だ。逃げるように右側の枝尾根に上がると背丈を超える笹薮となる。必死で薮を抜けると南側が削られた採石場の上部に出た。右手には高点が見えてきたので薮に再突入し最高点を踏んだ。枝に巻かれた赤テープが唯一の表示物だった。GPSが示す富谷山の位置はここから150mほど南西なのだが、その位置は砕石現場となりに消失してしまっていた。戻りは破線を追うように下ったが、途中で破線を外してしまい薮漕ぎを余儀なくされた。朝一から散々な山行となってしまった。登り54分、下り30分。写真左は山頂尾根筋から見たところで右の高みが高点で左の採石場に位置に消失した山頂があったようだ、中央は山頂があったところ付近から採石場を見たところ
次の城山はゴルフ場で南側を削られた山だ。地形図を見ると山の西側を送電鉄塔が通っているので、巡視路から上がりゴルフ場の北側を歩くことにした。巡視路を上がるとほどなく福島東幹線328号鉄塔となり、その手前に山の方に向かう踏み跡を見つけた。しかし直ぐに踏み跡は笹薮の中に消え、相変わらずの薮漕ぎとなった。小さな鞍部まで来ると行程中程で、最後の登りを薮を避けながら登り切ると城跡?の平坦地となり、その北側の高みが山頂で4等三角点、傍らに真新しい社とゴルフ場建設の記念碑が並んでいた。下りは往路を戻ったがかなりずれてしまった。往復36分。写真左は鉄塔巡視路の入口、中央は山頂平坦部の高みにある社
羽田山へは四方から登山道の波線があるが、今回は南東の登山口より入った。クルマも通れそうな幅の広い登山道はほぼストレートに続き、ほどなく南尾根上となると右へと方向を変える。背丈を超える笹薮の中に刈り払われた登山道が少しばかり続くと、いきなり倒木が散乱する斜面となった。踏み跡らしいものはほとんどなく、左右に倒木、灌木藪を避けながらの登りだ。これでもかという位の倒木の連続となりやっとのことで山頂となった。山頂には石祠と山名板、その南側に4等三角点があったが視界は無い。下山は往路を辿り、往復38分。写真左は倒木で塞がれた斜面、中央は山頂部
富士山は別名・柿岡富士と呼ばれており、西側からは近付くと名の通りの形で直ぐにそれと分かった。地形図の破線近くの車道を入ると墓地となり、その中を進むと山頂方向へ伸びる参道らしきものが見えてきた。勧請縄が下がっているので参道であることは間違いないようだ。墓地の余地にクルマを置き参道に入った。参道はほぼ真っ直ぐに伸びておりて、登りついた山頂には浅間神社の社が祭られていた。山名表示や三角点標石は見当たらなかった。往復16分。写真左は墓地の奥にあった参道口、中央は山頂の浅間神社
龍神山は富士山から東に向かうと山の中央をえぐり取られたような形で見えてきた。地形図によるとピークは砕石場の北側にあるので北東地点にある廃道跡から取りついた。相変わらず登山道らしきものは無く、植林地の中の薮を避けながら適当に登った。山頂尾根となりピークのある南に向かうが、GPSによると残り50m位で採石場となり先は深く切れ落ちていた。ここも採石によってピークが消えてしまったようだ。残った高点近くを探すも、それらしきものは見当たらず、往路を追うように下ったが大分外れてしまった。往復39分。この山の標高は山名事典では196mとなっているのでやっぱり消失しまったということだろう(南側の三角点峰は163m)。写真左は山頂付近でピークは採石場で消失か、中央は戻りに見た龍神山の全景で左側(北側)がピーク付近
閑居山は山名事典では227mとなっているが、地形図には山名は載っていない。山名事典の経度緯度と一致する地点に227mと記載されているのでこの地点を山頂と定め登ることにした。東西に伸びる山並みの南側に森林総合研究所千代田試験地という施設があり、その西隣りを山頂の東側へ伸びる林道が入っている。何処まで行けるか半信半疑でクルマを入れるとほどなく林道終点となった。踏み跡は2つあり、一つは林道の先の沢を越えて閑居山大師の方に向かっているようだ。そっちに向かうと遠回りになりそうなので南東尾根筋を目指し西に向かう踏み跡に入った。赤ペンキのマーキングが続き、ほどなく南東尾根筋となるとクルマも通れそうな幅広の尾根道となった。緩い傾斜をゆっくり進むと平坦な山頂となり東西に相変わらず幅広の道が貫いていた。山頂と思われる付近には案内標示があり各方面への案内が記されていたが、閑居山との記載はなかった。往復27分。写真左は南東尾根筋の車道のようなコース、中央は山頂にあった案内板
竜ヶ峰は所在がはっきりしなかった。山名事典の経度緯度の位置には県立中央青年の家の施設が建っていた。付近を探すも山頂表示らしきものは見当たらず、案内板には尾根伝いに南東へ行くと竜ヶ峰の山桜との表示があり、竜ヶ峰の文字を確認できたのはここだけだった。早速竜ヶ峰の山桜と書かれたところに行ってみたが、咲き出した山桜だけでピークらしきものは見当たらなかった。多分この一帯を竜ヶ峰と呼ぶのだろうと勝手に解釈して次に向かった。写真左は青年の家の前に設置されていた案内板、中央はその裏手の高み
剣ヶ峰も所在がはっきりしていない。244.8mの三角点標石の位置を山頂としているものもあれば、パラボラ山と呼ばれる山を剣ヶ峰としているものもあるし、その東側のパラボラアンテナが2基建つところを剣ヶ峰としているものもある。さらにはその東側の345mを山頂としているものもある。ただ標高は390mということなので、地形図からするとパラボラの建つ2つのピーク間がその標高にありその間を踏むことにした。フルーツラインを北上すると尾根筋の乗越え地点にハングライダーのフライト場がある。その反対側がパラボラアンテナへの管理道路の起点となっておりここから歩き出した。なだらかなコンクリート道を歩くとほどなくパラボラアンテナの建つピークとなった。ここから尾根筋を東へ向かい標高390m間の山頂尾根を踏んできた。その間には山名を表示する物は見当たらなかった。往復44分。(ちなみにこの記事を書くにあたりもう一度確認作業をしたところ、雪入ふれあいの里公園のHPでは345Pを剣ヶ峰としているようだ)。写真左は取り付いた管理道路の入口、中央は西側ピークのパラボラアンテナ塔
筑波山の北側には、燕山から始まり加波山、丸山、足尾山、きのこ山と北から南に連なっている。
北関東道・笠間西ICから燕山に向かう山道に入った。道路は陽の当たらぬ日影のところでは雪が残り冷や汗たらたらの連続だった。山頂尾根上まで来ると加波山との分岐となり北に向かうと、ほどなくNHKのテレビ中継所となって東屋のある休憩スペースとなった。山頂までは直線で200mの距離で、一度鞍部まで軽く下げ木段を登り返すと山頂だった。日の出直後であり朝日の当たる雪の山頂は赤く染まっていた。往復10分。写真左は登山口から見た燕山、中央は燕山山頂
車道を南下し加波山(登頂済み)のピークを見送ると2基の風車が見え始め、だんだん大きくなってきた。そしてその風車の真下まで来ると、まさにこの風車の建つ場所こそが丸山であると分かった。「ウィンド・パワーつくば 風力発電所」の看板前を入り、風車の真下を通り抜け薮を一登りすると山頂となった。山名を表わすものは見当たらず、灌木に縛られた赤布をカメラに収め証拠とした。往復10分。写真左は車道日影部分の雪道、中央は風車と山頂、右は山頂の赤テープと風車
さらに南下をつづけると直ぐに足尾山の登山口となる。車道から2,3mを攀じ登るように上がると廃作業道となる。目指すピークは先に見えているので、道を離れ尾根筋を歩くと手前のピークからはしっかりした踏み跡が付いていた。鞍部から少しばかりの急坂を上がるとほどなく小さな社がある山頂となった。社は南を向き、その傍らには履き潰した靴やサンダルが置かれていた。社の柱には山ラン主宰のKUMOさんの山名板が下がっていた。KUMO名の入った布製マークは何度か見かけたが山名板は初めてだ。家に帰ってから足尾山のことを調べたら、この足尾神社は古くから足の神として信奉されているのだそうだ。往復17分。写真左は登山口と足尾山、中央は足尾山山頂の社
きのこ山へ向かいさらに南下を続けると小さなピークが見えてきた。車道から山頂の東屋が見えているので駆け上がるとそこが山頂だった。三角点峰なので東側の薮山に入ってみると薄い踏み跡の中に三角点を見つけた。東屋の柱にはこの5月に開催されるつくば100キロウォークのお手製ポスターが貼られていた。ちなみに僕もエントリーしている。往復2分。写真左は山頂の東屋、中央は山頂の三角点標石
権現山は真壁富士という別名がある位で西側から見るとお椀を伏せたような綺麗な形をしている。ルートは北に位置する採石跡地に続く廃作業道を詰めて北尾根の破線を辿ることとし県道7号線を左折した。まさに作業道は廃道と化し直ぐに行き止まりとなってしまった。採石地跡の作業道の典型というのが適切かどうかは別として、大きな石がゴロゴロし不法投棄された産業廃棄物や家庭ゴミがあちらこちらに散乱していた。奥の薮に分け入り斜面に取り付いた。正規のルートは外れているようで踏み跡はなく、灌木の茂みを左右に避けながら急勾配を上がると尾根筋となった。前方には木立の間に権現山のピーク付近が見えているので多少の薮も気にならず登ると突然眼前に崖が現れた。なんとここも採石跡地で幅10m位にわたり稜線が削り取られ大きな窪地となっていたのだ。仕方なく少し戻り右側から窪地に降りたが、先の崖は切り立ち稜線への復帰は無理だったので、右側の枝尾根に向かった。少しばかり谷間を上がり、急斜面を登ると大きな岩が点在する尾根上となった。この後は順調でほどなく、笹の刈り払われた北尾根の登山道と合流し、方向を南に変えひと登りすると石祠のある権現山となった。石祠とその周りには石仏が並び、傍らに山頂と刻まれた石塔があり、時の流れが一瞬止まったような雰囲気のある山頂だ。往復53分。写真左は取り付き直後の薮尾根、中央は砕石のために削り取られた稜線、右は権現山山頂
峰寺山は地形図を見ると東筑波ユートピアという観光遊園地の中にある。権現山から向かう途中の車道から見える峰寺山には山腹をみどりのフェンスが横切っており何やらちょっとばかり異様だ。観光遊園横の西光院の駐車所にクルマを停めスタートした。取り付きを探すもどうみてもこの観光遊園に入らないと登れそうもない。入園料を払う必要もあると思い小銭を持っては来たが誰も居ないのでそのままゲートを抜けた。どうもはっきりしないがサル園があり、そのためのフェンスが張り巡らされ周囲は4WDのダートコースになっているようだ。登るには石段のコースと周遊コースがあったが、入園料も払っていないのでなるべく遠巻きに上がった。登った先にはキャンプスペースや、パラグライダーのプラットホームが作られており、最高点はオフロードが貫通していた。三角点峰なので標石を探すが見当たらず、さらに遠巻きに下山し途中から車道に降り駐車場に戻った。この山は観光施設の中にあり登山という範疇で登る山ではないということが分かった。往復30分。写真左は登山口の東筑波ユートピア、中央は山頂部で道路が横断してる
椎尾山は地図を見ると椎尾薬師を山腹の南に抱く山で、筑波山登山ルートの薬王院コースの入口から少し行った所で分岐すれば山頂と読める。ということで薬王院コースを辿り破線に沿って分岐するとほどなくピークとなった。何の目印も見当たらず、1m位高見となったところが高点であり写真を撮った。その後南側の薮に入り探索するもそれらしきものは無く戻ることにした。それにしてもこれが椎尾山?の思いは拭いきれず、先にある250m等高線の小ピークを目指してみた。御他聞に洩れず薮漕ぎとなったが、辿りついた先の250+αの高点の方が明らかにピークらしかった。そのまま薮の茂みを下り車道に降りた。35分で周回した。家に戻って再確認したが、やっぱり何の変哲もない先の高点が椎尾山らしい。写真左は登山口、中央は薮の中の最高点でここがピーク
北関東道・笠間西ICから燕山に向かう山道に入った。道路は陽の当たらぬ日影のところでは雪が残り冷や汗たらたらの連続だった。山頂尾根上まで来ると加波山との分岐となり北に向かうと、ほどなくNHKのテレビ中継所となって東屋のある休憩スペースとなった。山頂までは直線で200mの距離で、一度鞍部まで軽く下げ木段を登り返すと山頂だった。日の出直後であり朝日の当たる雪の山頂は赤く染まっていた。往復10分。写真左は登山口から見た燕山、中央は燕山山頂
車道を南下し加波山(登頂済み)のピークを見送ると2基の風車が見え始め、だんだん大きくなってきた。そしてその風車の真下まで来ると、まさにこの風車の建つ場所こそが丸山であると分かった。「ウィンド・パワーつくば 風力発電所」の看板前を入り、風車の真下を通り抜け薮を一登りすると山頂となった。山名を表わすものは見当たらず、灌木に縛られた赤布をカメラに収め証拠とした。往復10分。写真左は車道日影部分の雪道、中央は風車と山頂、右は山頂の赤テープと風車
さらに南下をつづけると直ぐに足尾山の登山口となる。車道から2,3mを攀じ登るように上がると廃作業道となる。目指すピークは先に見えているので、道を離れ尾根筋を歩くと手前のピークからはしっかりした踏み跡が付いていた。鞍部から少しばかりの急坂を上がるとほどなく小さな社がある山頂となった。社は南を向き、その傍らには履き潰した靴やサンダルが置かれていた。社の柱には山ラン主宰のKUMOさんの山名板が下がっていた。KUMO名の入った布製マークは何度か見かけたが山名板は初めてだ。家に帰ってから足尾山のことを調べたら、この足尾神社は古くから足の神として信奉されているのだそうだ。往復17分。写真左は登山口と足尾山、中央は足尾山山頂の社
きのこ山へ向かいさらに南下を続けると小さなピークが見えてきた。車道から山頂の東屋が見えているので駆け上がるとそこが山頂だった。三角点峰なので東側の薮山に入ってみると薄い踏み跡の中に三角点を見つけた。東屋の柱にはこの5月に開催されるつくば100キロウォークのお手製ポスターが貼られていた。ちなみに僕もエントリーしている。往復2分。写真左は山頂の東屋、中央は山頂の三角点標石
権現山は真壁富士という別名がある位で西側から見るとお椀を伏せたような綺麗な形をしている。ルートは北に位置する採石跡地に続く廃作業道を詰めて北尾根の破線を辿ることとし県道7号線を左折した。まさに作業道は廃道と化し直ぐに行き止まりとなってしまった。採石地跡の作業道の典型というのが適切かどうかは別として、大きな石がゴロゴロし不法投棄された産業廃棄物や家庭ゴミがあちらこちらに散乱していた。奥の薮に分け入り斜面に取り付いた。正規のルートは外れているようで踏み跡はなく、灌木の茂みを左右に避けながら急勾配を上がると尾根筋となった。前方には木立の間に権現山のピーク付近が見えているので多少の薮も気にならず登ると突然眼前に崖が現れた。なんとここも採石跡地で幅10m位にわたり稜線が削り取られ大きな窪地となっていたのだ。仕方なく少し戻り右側から窪地に降りたが、先の崖は切り立ち稜線への復帰は無理だったので、右側の枝尾根に向かった。少しばかり谷間を上がり、急斜面を登ると大きな岩が点在する尾根上となった。この後は順調でほどなく、笹の刈り払われた北尾根の登山道と合流し、方向を南に変えひと登りすると石祠のある権現山となった。石祠とその周りには石仏が並び、傍らに山頂と刻まれた石塔があり、時の流れが一瞬止まったような雰囲気のある山頂だ。往復53分。写真左は取り付き直後の薮尾根、中央は砕石のために削り取られた稜線、右は権現山山頂
峰寺山は地形図を見ると東筑波ユートピアという観光遊園地の中にある。権現山から向かう途中の車道から見える峰寺山には山腹をみどりのフェンスが横切っており何やらちょっとばかり異様だ。観光遊園横の西光院の駐車所にクルマを停めスタートした。取り付きを探すもどうみてもこの観光遊園に入らないと登れそうもない。入園料を払う必要もあると思い小銭を持っては来たが誰も居ないのでそのままゲートを抜けた。どうもはっきりしないがサル園があり、そのためのフェンスが張り巡らされ周囲は4WDのダートコースになっているようだ。登るには石段のコースと周遊コースがあったが、入園料も払っていないのでなるべく遠巻きに上がった。登った先にはキャンプスペースや、パラグライダーのプラットホームが作られており、最高点はオフロードが貫通していた。三角点峰なので標石を探すが見当たらず、さらに遠巻きに下山し途中から車道に降り駐車場に戻った。この山は観光施設の中にあり登山という範疇で登る山ではないということが分かった。往復30分。写真左は登山口の東筑波ユートピア、中央は山頂部で道路が横断してる
椎尾山は地図を見ると椎尾薬師を山腹の南に抱く山で、筑波山登山ルートの薬王院コースの入口から少し行った所で分岐すれば山頂と読める。ということで薬王院コースを辿り破線に沿って分岐するとほどなくピークとなった。何の目印も見当たらず、1m位高見となったところが高点であり写真を撮った。その後南側の薮に入り探索するもそれらしきものは無く戻ることにした。それにしてもこれが椎尾山?の思いは拭いきれず、先にある250m等高線の小ピークを目指してみた。御他聞に洩れず薮漕ぎとなったが、辿りついた先の250+αの高点の方が明らかにピークらしかった。そのまま薮の茂みを下り車道に降りた。35分で周回した。家に戻って再確認したが、やっぱり何の変哲もない先の高点が椎尾山らしい。写真左は登山口、中央は薮の中の最高点でここがピーク
前日から鬼怒川で泊りの集まりがあったので家に戻ってから支度を始めた。おかげで出掛けたのは6時を過ぎだった。
まず目指したのは羽黒山と棟峰。地形図を見ると西側には林道が両山の間に入り込んでいる。道は荒れ放題だが軽四駆ならではの走りでどうにか砕石場跡手前まで進入した。朽ちたゲート前にクルマを置き、砕石場跡の右手の尾根筋に取り付いた。薄い踏み跡が続き、青テープが所々に下がっている。登山口から15分で土手に囲まれた平場の中の神社となった。木製の祠をトタン屋根の上屋が掛かっていた。写真左は砕石場への作業道ゲートで朽ちている、中央は左側が切り立った尾根筋、右は山頂の祠
次の棟峰へは尾根筋を少しばかり登り、小ピークを過ぎると廃作業道の深い切れ込みとなる。足を滑らしながら廃作業道を超え、植林地を抜けると少しばかりの登りとなってほどなく山頂となった。三角点近くの枝からはQZW局のサインが記された赤テープが下がっていた。このポイントより北側の方に高点がありそうに見え、行ってみたがそれらしき物は見当たらなかった。ジャスト1時間で往復した。写真左は植林地越しに見える棟峰、中央は棟峰山頂でQZWのテープが下がる
雨引山、丸山、御嶽山の3山は周回で辿ろうと真ん中に伸びる林道に入った。この道はNTT無線中継所の管理道となっており途中でゲートにより閉鎖されていた。ゲート脇にピンクリボンが下がりその先の尾根筋には踏み跡が見える。管理道を行けば雨引山への遊歩道に合流できるが、かなり遠回りになるので尾根筋の踏み跡に取り付いた。少しばかりの急登を過ぎると勾配は緩くなり植林地の中の廃道となる。道型がかろうじて残っている程度だがピンクのリボンが続いているのでそれを追う。再び急勾配となるが構わず直登すると山頂へ続く木段に合流し、ひと登りで雨引山となった。東屋やベンチが置かれた山頂からの南側の展望は抜群だ。なんと富士山やスカイツリーまでもが見えていた。登り24分。写真左は取り付いたNTTゲート横の尾根筋、中央は雨引山山頂、右は南側の展望
次の丸山へは木段を下り、NTT無線中継所のところまで来ると御嶽山への案内標示が出ている。ここで道を分け丸山へ続く尾根筋に乗った。シノダケ薮の中に踏み跡は続いているが、場所によっては背丈を超える密薮となっており薮漕ぎを余儀なくされた。最後に急登を上がると三角点と石祠が鎮座する丸山山頂となった。雨引山から37分。写真左は尾根筋の密薮、中央は薮越しに見える丸山、右は丸山山頂の石祠と後方の雨引山
御嶽山へはNTT無線中継所へ戻って遊歩道を辿るルートもあるが、シノダケ薮が嫌で別ルートにした。北東方向の破線を追うと、北尾根から谷間となり沢伝いとなる。薮を抜けると耕作放棄地となり作業道へ出た。ここで方向を換え御嶽山へ向かう破線に乗った。スギ林と雑木林の境界の踏み跡を順調に上がると突然笹薮となり、再びの薮漕ぎとなってしまった。倒木も多く右に左にコースを選びながら歩いた。ほどなく雨引山からの遊歩道と合流し少し下ると御嶽山となった。神社の北には展望台があり、北側の絶景ポイントとなっていた。丸山から49分。その後は雨引山への遊歩道からNTT無線中継所への管理道に降りクルマに戻った。休憩を含み2時間49分で周回した。写真左は倒木と密薮、中央は御嶽山の神社
まず目指したのは羽黒山と棟峰。地形図を見ると西側には林道が両山の間に入り込んでいる。道は荒れ放題だが軽四駆ならではの走りでどうにか砕石場跡手前まで進入した。朽ちたゲート前にクルマを置き、砕石場跡の右手の尾根筋に取り付いた。薄い踏み跡が続き、青テープが所々に下がっている。登山口から15分で土手に囲まれた平場の中の神社となった。木製の祠をトタン屋根の上屋が掛かっていた。写真左は砕石場への作業道ゲートで朽ちている、中央は左側が切り立った尾根筋、右は山頂の祠
次の棟峰へは尾根筋を少しばかり登り、小ピークを過ぎると廃作業道の深い切れ込みとなる。足を滑らしながら廃作業道を超え、植林地を抜けると少しばかりの登りとなってほどなく山頂となった。三角点近くの枝からはQZW局のサインが記された赤テープが下がっていた。このポイントより北側の方に高点がありそうに見え、行ってみたがそれらしき物は見当たらなかった。ジャスト1時間で往復した。写真左は植林地越しに見える棟峰、中央は棟峰山頂でQZWのテープが下がる
雨引山、丸山、御嶽山の3山は周回で辿ろうと真ん中に伸びる林道に入った。この道はNTT無線中継所の管理道となっており途中でゲートにより閉鎖されていた。ゲート脇にピンクリボンが下がりその先の尾根筋には踏み跡が見える。管理道を行けば雨引山への遊歩道に合流できるが、かなり遠回りになるので尾根筋の踏み跡に取り付いた。少しばかりの急登を過ぎると勾配は緩くなり植林地の中の廃道となる。道型がかろうじて残っている程度だがピンクのリボンが続いているのでそれを追う。再び急勾配となるが構わず直登すると山頂へ続く木段に合流し、ひと登りで雨引山となった。東屋やベンチが置かれた山頂からの南側の展望は抜群だ。なんと富士山やスカイツリーまでもが見えていた。登り24分。写真左は取り付いたNTTゲート横の尾根筋、中央は雨引山山頂、右は南側の展望
次の丸山へは木段を下り、NTT無線中継所のところまで来ると御嶽山への案内標示が出ている。ここで道を分け丸山へ続く尾根筋に乗った。シノダケ薮の中に踏み跡は続いているが、場所によっては背丈を超える密薮となっており薮漕ぎを余儀なくされた。最後に急登を上がると三角点と石祠が鎮座する丸山山頂となった。雨引山から37分。写真左は尾根筋の密薮、中央は薮越しに見える丸山、右は丸山山頂の石祠と後方の雨引山
御嶽山へはNTT無線中継所へ戻って遊歩道を辿るルートもあるが、シノダケ薮が嫌で別ルートにした。北東方向の破線を追うと、北尾根から谷間となり沢伝いとなる。薮を抜けると耕作放棄地となり作業道へ出た。ここで方向を換え御嶽山へ向かう破線に乗った。スギ林と雑木林の境界の踏み跡を順調に上がると突然笹薮となり、再びの薮漕ぎとなってしまった。倒木も多く右に左にコースを選びながら歩いた。ほどなく雨引山からの遊歩道と合流し少し下ると御嶽山となった。神社の北には展望台があり、北側の絶景ポイントとなっていた。丸山から49分。その後は雨引山への遊歩道からNTT無線中継所への管理道に降りクルマに戻った。休憩を含み2時間49分で周回した。写真左は倒木と密薮、中央は御嶽山の神社