二日がかりで東日原から都県境の尾根を辿り雲取山・鷹ノ巣山を周回し石尾根から三ノ木戸まで歩いてきた。詳細は帰宅後にw
このルートは等高線の狭間からの管理人・DJFさんの山行記録を見たことで思いついた。DJFさんは鷹ノ巣山から東日原に下り一日で周回しているが、雲取山荘で一泊すれば二日目には石尾根を辿ることが可能となり行程を伸ばせると判断した。1日の夕方に奥多摩に入り、下山口となる三ノ木戸にバイクをデポして、登山口となる東日原に18時過ぎに着いた。登山口を確認後、二日がかりの山行に備え車中泊と決め込んだが、余りの緊張感のためか胃が痛み寝付けなかった。
23時過ぎに起き出して、ラーメンとおにぎりを腹につめこんだ。バックにはパンを二つと水2リットル、防寒具兼用の雨具、着替えのアンダーウェアだけとして出来るだけ重量を抑えた。最近は夜間登山はお手の物となってはいるが、24時前に登山道に入るのは初めてだ。車道から案内に従い舗装道に沿って上がると、人家の裏道らしいところをしばらく歩くことになるが、所々には外灯もあるという、ちょっと風変わりな登山道である。流石に熊避けの鈴音やライトの明かりは邪魔だろうと気遣いながら歩くが、どの人家にも人の気配は無いようだ。人家を離れ、いよいよスギの植林地の中に入ると勾配は一気に増し、踏み跡は九十九折りとなる。どの道DJFさんの山行記録を持参しているので道に迷うことはほとんどないが、このきつい勾配ばかりは読み取れなかった(´・ω・`;A) それでもどうにかコースタイム通りに滝入ノ峰、一杯水避難小屋を通過し、天目山に着いた。写真左は登山口、中央は一杯水避難小屋で幕営もあり満杯か?、右は天目山山頂の寝袋の主(流石に直ぐに退散した)
ここからは都県境の尾根を辿ることになるので迷うことは無かったが、登山道はピークを避けるように巻き道となっていて、山ランでピークが欲しい自分にとっては取り付くポイントを考えながらの歩きとなった。まず最初の天目山では尾根上の分岐まで待てずに直前に取り付き、大栗山では巻き道の途中から尾根上に無理やり取り付いた。次の七跳山と坊主山ははっきりとしたピークなので鞍部から尾根に乗ったが、この二つは半端ない急勾配だった。酉谷山は避難小屋から尾根上に乗り、比較的楽に辿れたが、その後の滝谷の峰では再び直登を強いられた。水松山~桂谷の頭まではほぼ尾根上が登山道となっており、アップダウンを繰り返しながら徐々に高度を上げていくことになるがすこぶる順調だ。写真左は所々の巻き道には梯子橋がある、中央は酉谷山、右は水松山の山名板
小屋セドノ頭~芋木ノドッケの間は倒木が連続(台風の通り道だったのだろうか)するようになり、歩き始めて10時間近く経った足には勾配が堪えるようになりペースが落ちる。それでも10時15分には芋木ノドッケに到着し、行程的にはかなり余裕があると判断し、白岩山まで足を延ばすことにした。倒木と残雪の尾根上を白岩山に直進すると鞍部で白岩山から雲取山までの巻き道に合流した。ほどなく白岩山山頂となり予定外のポイントをゲットした。驚いたことに山頂には餌付けされた(?)鹿が物欲しげに近付いてきて付き纏ってくる。バックを置くと持って行かれそうな勢いだw そういえば芋木ノドッケまでの都県境尾根で行き会った登山者は数名だったのに、三峰神社側からは切れ目なく登山者がやってくる。ここいらに可哀想な鹿が増えた原因なのかもしれないと感じた。写真左は芋木ノドッケ手前の倒木、中央は白岩山、右は白岩山の人慣れた鹿
白岩山をピストンし、大ダワからの登りをひと頑張りすると11時40分に雲取山荘に着いた。まだ受付には早く、山荘前で一休みし、バックをデポし雲取山に向かった。なんと山荘からちょっとで残雪となり、コースロープに掴まりながらの急登となった。アイゼンを、まさかと思いクルマに置いてきてしまったことを悔やんでも時すでに遅しなのである。それでもどうにか山頂にたどり着くと、今度は人の波に驚くことになる。東京最高峰、連休ともなれば仕方のないことだと思い、早々に写真だけ確保して小雲取山に向けて退散した。小雲取山のピークは登山道から少し外れた熊笹の小丘で、誰一人として来るものは無く静かな小休止となった。二日目の行程を考え富田新道を権衛ノ頭までピストンし、雲取山の巻き道を使い雲取山荘まで戻ったが、ここでも残雪のため悪戦苦闘することになった。写真左は雲取山北面の残雪の登り、中央は雲取山、右は笹に覆われた小雲取山山頂
さあーー、いよいよ山荘初体験だ。予想はしていたものの、200人収容の山荘には300人をオーバーする登山者が宿泊することになってしまった。最終的には8畳の部屋に14人が寝ることになったのだが、相部屋の方々のチームワークは抜群で、夕食、朝食とも、一番乗りでありつくことが出来た。なんと6時過ぎには部屋の全員が布団に入り、7時には眠りに着いていた。おかげで前日の疲れもすっかり抜け、二日目は夜明けとともに部屋一番に山荘を出発することができた。写真左は山荘での夕食で2食付き7500円、右は日の出に群がる登山者越しの朝日
雲取山を巻き、小雲取山から七ツ石山へ次第に高度を下げて行くと、下からはどんどんと登山者が上がってくる。中には空身の人も結構いる。不思議に思っていると、その謎は直ぐに解けた。町営雲取奥多摩避難小屋の幕営地はテントの花盛りだったのだ。この辺りからは常に右手には富士山が見えるようになり、足取りは軽くなる。この登山道は石尾根縦走路というらしいが、ほとんどのピークは巻き道があり、全ては雲取山への近道となっているようだ。下からは多くの登山者が登って来るのだが、話し声や鈴の音は近くを通り過ぎるだけで、すれ違うことはほとんどない。七ツ石山、高丸山、日蔭名栗山、鷹ノ巣山、六ツ石山、狩倉山は特に際立ったピークで急勾配のアップダウンが続く。下りで良かったなぁーとしみじみと感じたのが、六ツ石山からの300m近くの下りだった。その次の三ノ木戸山からも半端ではない下りが続いた。ついに二日ぶりにバイクと再会し、長い山行を無事終えた。写真左は雲取避難小屋の幕営地の先に七ツ石山、中央は鷹ノ巣山避難小屋に設置された案内板で2日間で辿った山並みが良く分かる、右は鷹ノ巣山からの眺めで遠くに富士山と南側に明日歩く三頭山が見える
このルートは等高線の狭間からの管理人・DJFさんの山行記録を見たことで思いついた。DJFさんは鷹ノ巣山から東日原に下り一日で周回しているが、雲取山荘で一泊すれば二日目には石尾根を辿ることが可能となり行程を伸ばせると判断した。1日の夕方に奥多摩に入り、下山口となる三ノ木戸にバイクをデポして、登山口となる東日原に18時過ぎに着いた。登山口を確認後、二日がかりの山行に備え車中泊と決め込んだが、余りの緊張感のためか胃が痛み寝付けなかった。
23時過ぎに起き出して、ラーメンとおにぎりを腹につめこんだ。バックにはパンを二つと水2リットル、防寒具兼用の雨具、着替えのアンダーウェアだけとして出来るだけ重量を抑えた。最近は夜間登山はお手の物となってはいるが、24時前に登山道に入るのは初めてだ。車道から案内に従い舗装道に沿って上がると、人家の裏道らしいところをしばらく歩くことになるが、所々には外灯もあるという、ちょっと風変わりな登山道である。流石に熊避けの鈴音やライトの明かりは邪魔だろうと気遣いながら歩くが、どの人家にも人の気配は無いようだ。人家を離れ、いよいよスギの植林地の中に入ると勾配は一気に増し、踏み跡は九十九折りとなる。どの道DJFさんの山行記録を持参しているので道に迷うことはほとんどないが、このきつい勾配ばかりは読み取れなかった(´・ω・`;A) それでもどうにかコースタイム通りに滝入ノ峰、一杯水避難小屋を通過し、天目山に着いた。写真左は登山口、中央は一杯水避難小屋で幕営もあり満杯か?、右は天目山山頂の寝袋の主(流石に直ぐに退散した)
ここからは都県境の尾根を辿ることになるので迷うことは無かったが、登山道はピークを避けるように巻き道となっていて、山ランでピークが欲しい自分にとっては取り付くポイントを考えながらの歩きとなった。まず最初の天目山では尾根上の分岐まで待てずに直前に取り付き、大栗山では巻き道の途中から尾根上に無理やり取り付いた。次の七跳山と坊主山ははっきりとしたピークなので鞍部から尾根に乗ったが、この二つは半端ない急勾配だった。酉谷山は避難小屋から尾根上に乗り、比較的楽に辿れたが、その後の滝谷の峰では再び直登を強いられた。水松山~桂谷の頭まではほぼ尾根上が登山道となっており、アップダウンを繰り返しながら徐々に高度を上げていくことになるがすこぶる順調だ。写真左は所々の巻き道には梯子橋がある、中央は酉谷山、右は水松山の山名板
小屋セドノ頭~芋木ノドッケの間は倒木が連続(台風の通り道だったのだろうか)するようになり、歩き始めて10時間近く経った足には勾配が堪えるようになりペースが落ちる。それでも10時15分には芋木ノドッケに到着し、行程的にはかなり余裕があると判断し、白岩山まで足を延ばすことにした。倒木と残雪の尾根上を白岩山に直進すると鞍部で白岩山から雲取山までの巻き道に合流した。ほどなく白岩山山頂となり予定外のポイントをゲットした。驚いたことに山頂には餌付けされた(?)鹿が物欲しげに近付いてきて付き纏ってくる。バックを置くと持って行かれそうな勢いだw そういえば芋木ノドッケまでの都県境尾根で行き会った登山者は数名だったのに、三峰神社側からは切れ目なく登山者がやってくる。ここいらに可哀想な鹿が増えた原因なのかもしれないと感じた。写真左は芋木ノドッケ手前の倒木、中央は白岩山、右は白岩山の人慣れた鹿
白岩山をピストンし、大ダワからの登りをひと頑張りすると11時40分に雲取山荘に着いた。まだ受付には早く、山荘前で一休みし、バックをデポし雲取山に向かった。なんと山荘からちょっとで残雪となり、コースロープに掴まりながらの急登となった。アイゼンを、まさかと思いクルマに置いてきてしまったことを悔やんでも時すでに遅しなのである。それでもどうにか山頂にたどり着くと、今度は人の波に驚くことになる。東京最高峰、連休ともなれば仕方のないことだと思い、早々に写真だけ確保して小雲取山に向けて退散した。小雲取山のピークは登山道から少し外れた熊笹の小丘で、誰一人として来るものは無く静かな小休止となった。二日目の行程を考え富田新道を権衛ノ頭までピストンし、雲取山の巻き道を使い雲取山荘まで戻ったが、ここでも残雪のため悪戦苦闘することになった。写真左は雲取山北面の残雪の登り、中央は雲取山、右は笹に覆われた小雲取山山頂
さあーー、いよいよ山荘初体験だ。予想はしていたものの、200人収容の山荘には300人をオーバーする登山者が宿泊することになってしまった。最終的には8畳の部屋に14人が寝ることになったのだが、相部屋の方々のチームワークは抜群で、夕食、朝食とも、一番乗りでありつくことが出来た。なんと6時過ぎには部屋の全員が布団に入り、7時には眠りに着いていた。おかげで前日の疲れもすっかり抜け、二日目は夜明けとともに部屋一番に山荘を出発することができた。写真左は山荘での夕食で2食付き7500円、右は日の出に群がる登山者越しの朝日
雲取山を巻き、小雲取山から七ツ石山へ次第に高度を下げて行くと、下からはどんどんと登山者が上がってくる。中には空身の人も結構いる。不思議に思っていると、その謎は直ぐに解けた。町営雲取奥多摩避難小屋の幕営地はテントの花盛りだったのだ。この辺りからは常に右手には富士山が見えるようになり、足取りは軽くなる。この登山道は石尾根縦走路というらしいが、ほとんどのピークは巻き道があり、全ては雲取山への近道となっているようだ。下からは多くの登山者が登って来るのだが、話し声や鈴の音は近くを通り過ぎるだけで、すれ違うことはほとんどない。七ツ石山、高丸山、日蔭名栗山、鷹ノ巣山、六ツ石山、狩倉山は特に際立ったピークで急勾配のアップダウンが続く。下りで良かったなぁーとしみじみと感じたのが、六ツ石山からの300m近くの下りだった。その次の三ノ木戸山からも半端ではない下りが続いた。ついに二日ぶりにバイクと再会し、長い山行を無事終えた。写真左は雲取避難小屋の幕営地の先に七ツ石山、中央は鷹ノ巣山避難小屋に設置された案内板で2日間で辿った山並みが良く分かる、右は鷹ノ巣山からの眺めで遠くに富士山と南側に明日歩く三頭山が見える