群馬県の中で未踏となっているのは、奥多摩湖(矢木沢ダム)と群馬新潟県境のに囲まれた山域だ。ネット上の記録はそのほとんどが残雪期のもので幕営が必須となる。そこでどうにか日帰りでピークを踏めないものと2年前から思いを巡らしていた。その中で思いついたのが、ダム湖をボートで渡り、バックウォーターから沢を詰め登頂するものだ。当初は手漕ぎボートや免許の要らない低出力ボートも考え、ゴムボートや軽量ボートで試したが、とても奥利根湖を安全に航行できるものではなかった。そこで行きついたのが、地元の民宿やぐらが送迎サービスする高速ボートのチャーターだった。前日夜9時、同行するHさんの車に同乗しみなかみ町に向かった。23時過ぎに民宿やぐらに入り、酒を流し込み眠りにつく。朝5時40分に宿を出て、6時のゲート開門を待つ。

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いよいよ矢木沢ダムから高速ボートで幽ノ沢口を目指す。僅か10分でバックウォーターとなる。6時40分、幽ノ沢入渓。緩やかな流れなので滝などは皆無で、左右に渡渉を繰り返しながら、2km弱を行くと左側からゴミ沢との出合いとなる。この出合いの直前に小さな枝沢(結果的にこの枝沢を下ることになった)があり、それを乗り越えるようにゴミ沢に入った。ゴミ沢に入ると途端に傾斜が増し渓相は一変し、流木や落石の間を登るようになる。ほぼ1000mで雪渓が現れる。雪渓と反対側の右岸に枝沢が合流していた。地形図を見るとこの枝沢の左岸稜線が山頂への最短である。勾配はきついが薮漕ぎの距離もその分短くなるとこの枝沢に入った。益々渓相は厳しくなりスラブの連続となり、3,4mのフェイスはどうにか直登した。しかし7m位のフェイスで行き詰った。最初は左岸を高巻くが蜂の襲来で撤退。最終的には右岸の雪渓を乗り越えてザレ場を攀じ登った。一番の誤算はフェルトソールの渓流シューズのまま藪山となったので、土と草のザレた急斜面ではグリップ出来ず難儀した。やっとのことで稜線に出たが、戻りでは下れないと覚悟した。しかし明瞭な稜線ではなく、左右に藪を避けながら登り続けた。斜面に沿って倒れたアスナロが主体で、シャクナゲ、ネマガリダケ等、とにかくジャングルのような混合藪だ。等高線の間隔の狭い高度差500mを藪を掻き分け4時間を費やし山頂尾根に出た。あとは薄いネマガリダケの藪をほぼ水平移動すると、午前11時40分、念願のイラサワ山のピークとなった。S.K氏の2015.5.2と書かれた赤テープだけが唯一の人工物で、残念ながらすかいさん製の山名板は確認できなかった。写真左上は幽ノ沢、中央上は7mフェイスでスタンス取れず下の滝下から右岸を高巻く、右上は土の草だけのザレ場、左下は稜線の灌木藪、中央下は南側に見える奥利根湖、右下は山頂唯一の赤テープ

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P7200067P7200075150720イラサワ山
この時点で想定した11時を大幅に過ぎているので、10分の滞在で山頂を後にした。山頂尾根から登り来たポイントがつかめず、稜線への進入で右往左往しかなりの時間と体力のロス有り。GPS軌跡の往路を追うが斜面に沿う薮に邪魔されて真っ直ぐ下へ落ちるような下りとなった。そこで方針を変更しそのまま斜面を下り、隣の沢に降りることにした。しかし沢まで来るとまだ1150mの高度があり、スノーブリッジの雪渓となっていた。とても沢に降り立っても下れる状況にはなく、高巻くようにトラバースした。どうにか1050mまで下げると、雪渓は消え、意を決して沢に降りた。5m前後のフェースをスタンスを選びながら慎重に下り、スラブでは滑り台状態となりホールで全身びしょ濡れとなりながらも幽ノ沢にどうにか復帰した。あとは残った体力を振り絞り急ぎ足で入渓地点まで戻った。予定から一時間遅れの16時5分のことだった。9時間半に及ぶ思い出深い山旅となった。迎えの高速ボートで矢木沢ダムに着くとほどなく遠雷と小粒の雨となり、瞬く間に辺りは時間100mmの豪雨となった。
写真左上は先の見えない混合藪、中央上は下降を諦めたスノーブリッジ、右上は下り来た沢、写真左下は幽ノ沢口を後にする、中央下は奥利根本流と小穂口山