西丹沢の山に登ってきた。9日夜に栃木を出て、丹沢湖の玄倉ビジターセンターに着いたのは朝の5時だった。行程を考えればすぐに出発したいところがが、どうしても眠気がとれずクルマを出たのは7時を過ぎていた。この時点では周回は中半諦め大杉山までのピストンで良しとしていた。

P5100004P5100011P5100021
玄倉川橋を渡り少し行くと尾根の突端に石段が現れた。取り付くといきなり急登な上に、砂状の滑りやすい斜面で登りにくい。テープや踏み跡らしきものもあるがあっちこっち交差していて一定しない。朽ちたアンテナを過ぎると一旦勾配は緩み722Pとなるがその後も急勾配は続きやっとのことで最初のピークとなった。防獣用有刺鉄線には遠見山との山名板が下がるが、ここが戸沢ノ頭のようだ。写真左は取り次いだ石段、中央は見た目以上に急勾配の尾根筋、右は戸沢ノ頭

P5100025P5100039P5100046
ここからは平坦な広い尾根となり直ぐに三角点のある大杉山となる。ここまで2時間と順調で足は自然と次に向かっていた。しかし次第に踏み跡は薄くなり、ヤセ尾根、白ザレした急登が続き気の抜けない歩きとなった。特にヤブ沢ノ頭への登りは勾配がきついばかりか足場が悪くかなりの難所だった。写真左は大杉山、中央は途中のヤセ尾根、右はヤブ沢ノ頭で登山道との出合

P5100050P5100052P5100059
やっとのことでヤブ沢ノ頭直下の登山道に飛び出した。今までに比べれば高速道のような登山道で一気に板小屋沢ノ頭をピストンしヤブ沢ノ頭へ戻った。ここは檜洞丸から箒沢へ下るルート上で良く整備されているが、次の石棚山への登り返しはきつい。石棚山は三角点標柱があるが尾根の肩のようなピークだった。写真左は板小屋沢ノ頭、中央はヤブ沢ノ頭、右は石棚山

P5100067P5100068P5100076
さらに高度上げていくが、急傾斜では木段が設置されているので次のテシロノ頭となった。ただこの先から見えたピラミダスな同角ノ頭が不気味だ。案の定、足の運びは重く、木段でさえ段差がきつくペースが落ちる。登りついた同角ノ頭で30分の長休みとなった。写真左はテシロノ頭、中央はテシロノ頭から見えた同角ノ頭、右は同角ノ頭

P5100085P5100096P5100103
石小屋ノ頭、大石山と続く急勾配の下りは、足の踏ん張りが弱くなったためだろうかとにかく滑るので気が抜けない。ユーシンロッジまでの下りがとにかく長く感じた。写真左は石小屋ノ頭、中央は大石山へのクサリ場、右は大石山

P5100109P5100112P5100114
この時点で17時、どちらにしろ明るいうちには玄倉には戻れないし、またこの山域に来るのも面倒と当初の予定通り桧岳山稜に向かった。雨山沢に沿った桟道を行くと雨山峠となる。写真左は雨山沢沿いの桟道、中央は雨山峠、右は雨山への尾根筋

P5100118P5100121P5100122
この辺りから日没となりヘッ電を頼りに尾根筋の辿り、雨山、桧岳、伊勢沢ノ頭と順調に通過した。写真左は雨山、中央は桧岳、右は伊勢沢ノ頭

P5100125150510西丹沢周回
ここからは玄倉に向けての下山となるが、地形図を見ると山神峠からのルートが最短に思えた。踏み跡もしっかりしているし山神峠まで一気に下った。確かにヘッ電だけなので踏み跡は見づらいが所々には行政の道標が玄倉への方向を示しているし何の疑いもなく指示に従った。ところが登山道は崩落により途切れていた。仕方なく山神峠に戻り、ユーシンの方に向けて歩き出すが、こちらも同様に崩落で道は途切れている。残され脱出法は戻るしかないと必死に400mを登り返した。再び伊勢沢ノ頭となるとひと段落、最後のおにぎりを詰め込むと秦野峠へ向かった。なんとここらの道のりの長いこと、やっとのことで林道に降り立ち、玄倉に帰還した時は26時になっていた。19時間、39㎞、命からがらの生還であった。戻って確認すると山神峠から玄倉への道は荒れて廃道となっているとのことだった。反省(;´・ω・) 写真は今はなき道を案内する山神峠の道標