2013年03月

群馬の山、幕掛山

3日前に登った赤沢山の戻りに幕掛山の登り口をあれこれ探してみた。当初は夜後沢の右岸尾根筋に取り付こうと思ったが、どう見ても勾配がきつい。そこでもう少し北上すると平出集落を過ぎたところに芦ノ田越(古道)の標識を見つけた。行先は青木沢とあるので間違いなく峠越えとなるのでここから取り付くこととした。ところが本日の天気予報は傘マークで、様子を見ながらの遅いスタートとなった。8時過ぎに予定した取り付き地点に着いたがまだ雨は落ちていない。スパ長にピッケル、ザックにワカンを縛り付けクルマを離れた。


幕掛山(1410m、藤原湖)はネットで調べても記録は少ない。無雪期の記録では結構な藪山とのことだし、残雪期も条件次第ではかなりきつそうに思えた。古道の標識を入ると直ぐに雪道となり、ほどなく木柵が古道を塞ぐように置かれていた。車止めのつもりなのだろうか、それにしては通れるほど道幅はないし。古道は先に続いていたが、どうも986Pの西側に向かってるようだったので、右前方の明瞭な尾根筋に上がることにした。残雪の急斜面だが北斜面で雪が締まっているので難なく尾根筋となった。雑木と僅かな灌木の茂る尾根筋に雪はなく、次第に勾配を増し一気に250m余りを上げるがストレスはない。986Pと1050級Pの鞍部付近に乗ると再び雪が現れツボ足となる。この辺りから雨混じりの靄がかかってきたので先が見えなくなり、GPSとニラメッコとなった。1050級Pは南側に巻いて南東鞍部まで水平移動し再び尾根筋に乗ったが、次の尾根筋への取り付きで苦労した。雨具を着込み、ワカンを履いたまではよかったが、勾配がきつい上に雪が腐っており中々ステップを確保できず難儀した。それでもどうにか急斜面をクリアすると、いよいよ雨は雪に変わり、靄は霧氷となって枝を凍らせ始めていた。この先は灌木藪、アスナロの幼木藪、一部急勾配な登りとあったものの総じて残雪を繋いでの尾根歩きとなった。登りついた山頂には目印らしきものはテープしか見当たらなかった。GPSは間違いなく山頂を示しているし、どうせ三角点標柱は雪の下だろうと、寒さの中で儀式を済ませ下山に取り掛かった。登り2時間58分、下り1時間24分。写真左は尾根筋の状況でここは藪を選んだ、中央は山頂部で先にもこんもりとした出っ張りがある。

帰宅して確認するとどうも先のピークに山名板があるのかもしれない(詳細は不明)。いずれにしろ三角点峰であるこの山の三角点の位置までは到達したので良しとしよう。

群馬の山、赤沢山

今週も残雪の時期にしか行くことのない山に登ってきた。


赤沢山(1328m、水上)へはこの時期に西側の尾根筋から登ってる記録を散見する。それらに倣い土合橋手前の白毛門登山口の駐車場に向かうが、まだ雪のため入れず入り口にクルマを置いた。足元は例によってスパ長、背中にはワカンを背負った。駐車場を行くと尾根筋に向かうトレースを見つけ、その後を追うように登った。トレースは谷間の雪渓に続いていたが、腐り始めた雪に踏み抜くことも多く途中から尾根筋に移った。急斜面が続いており、さらにあすなろの幼木が所どころに繁茂してるので左右に避けながら登った。登山口から1時間20分で500mの高度を上げ、平坦な尾根にとなった。途端に視界が開け、切れ落ちた南斜面側には雪庇が続き、後方に目をやると天神平~谷川岳の絶景となっていた。暫くは雪庇と尾根筋を行き来しながら歩きやすいところを選んで行くと、ブナの雪原となる。途中からワカンを履いたので踏み抜きもなく軽快な歩きとなり、再び尾根筋が細くなりだすとやや勾配を増しドーム型の山頂となった。東側は雪庇が張り出し、その下は切れ落ちているので遮るものは何もなく絶景が広がっていた。北東方向には至仏山、東には武尊山、南東部には遠く赤城山が見えている。下りは往路を忠実に辿りピストンしたが、谷間の雪渓のところは走るように降りた。登り2時間14分、下り1時間13分。写真左は途中で見えた天神平~谷川岳、中央は赤沢山山頂から見た武尊山

群馬の山、ヨシガ沢山、鍋クワシ山、三岩山

JF9DJF氏がヨシガ沢山~阿能川岳~十二社ノ峰を周回しているのを倣って同一ルートでの山行を実行した。設定時間を15時間とし、24時前に歩き出すこととし、下山口となる川古温泉近くに車を止め仮眠した。22時に起きだすと外は小雨が降っている。天気予報では夜半はみぞれとのことなので、そのうち雪に変わるのだろうと身支度を始めた。空には月や星も見えてるが、時よりゴーと大きな風音がこの先を暗示しているのかなと思ったりしながら、23時15分、予定通りに歩き出した。


ヨシガ沢山(1117m、水上)へは南の仏岩より登るのが一般的なのかもしれないが、周回を考えて西側の尾根筋を上ることとし鉄塔巡視路を辿ることにした。巡視路の案内標柱を入り九十九道を上がると17号鉄塔となり尾根に乗った。途端に頭上で吹いていた風が横から吹き出し雪が顔に当たりだした。送電線の通る尾根筋はすべて伐採され、風がまともに当たる。谷川岳の雪上訓練で教わった耐風姿勢を確認しながら、残雪の続く尾根筋を上がった。3本目の鉄塔は尾根筋を外れているので巡視路はトラバース路となる。そこで巡視路を離れ尾根筋を直登した。勾配はさほどではないが、相変わらず風は強く横殴りの雪となって体を揺さぶってくるので、立ち木を支えに風がおさまるのを待つ。それでも歩を進めるとほどなく樹木の無いドーム状の山頂となった。周囲を見回すも表示物らしきものは確認できなかった。鉄塔巡視路入口から1時間8分。写真左は下山時に撮ったヨシガ沢山、中央も下山時に撮った送電線の通る裸尾根、右は初めて使った3eleループアンテナ


鍋クウシ山(1314m、水上)へ向かい少し下ると鉄塔巡視路と出会い鞍部となったが、風は益々強くなり間断なく吹き付けるようになった。とりあえず時間はたっぷりあるので岩陰に入り様子を見ることにした。30分ほどたつと今までが嘘だったかのように突然無風となり、これを幸いに再び歩き出した。尾根筋は比較的広く勾配も緩いので、ヘッ電に照らし出される5m半径位の範囲の中で硬そうな雪面を選びながらスパ長で登った。それでもいきなり踏み抜くとダメージは大きく、踏み出す一歩にストレスを感じるようになりワカンを履いた。これで踏み抜きは極端に減り、GPSの示す鍋クウシ山の山頂となった。とてもピークとは言い難いような場所で表示物はテープがいくつかあるだけだった。ヨシガ沢山から1時間10分。写真左は往路の鍋クウシ山山頂、右は下山時に撮った同部


三岩山(1568m、水上)へ向かうが、左からの尾根と合流した直後から様子が一変してきた。尾根筋は次第に細くなり、その分雪庇が現れてきた。いつの間にか風も強くなり、横殴りの雪が正に雪庇を作り出しているところだった。クラックは新雪で隠れ、自分のトレースも歩いてる先から埋まっていく。シャクナゲなどの灌木帯の痩せ尾根を、時には雪庇の上を時には灌木を分けながらひたすら歩いた。ところが三岩山手前の鞍部へ下り始めるところで行き先を見失った。急勾配で降りられないのである。ヘッ電では明かりが届かず、手持ちのスポットライトを取り出し先を照らそうとするが、横殴りの雪の先には暗闇しかない。途方に暮れて、再び岩陰に身を入れた。背中からはとてつもない風が背負ったリュック越しに吹き付けている。30分近くその場に蹲っていたが、全然寒くない。手足も冷たくならない。下は2枚、上は3枚しか着てないのにである。実はその薄着こそが冷えの原因となる汗を抑えたのである。ふと近くの枝を照らすと赤テープがあり、その先を見ると眼下に赤テープが続いていた。灌木を手掛かりに凍り付いた岩場を3m程下ると踏み跡が続いていた。しばらく痩せ尾根は続きやっとのことで鞍部からの登り返しとなると、今度は大岩が尾根筋を塞ぎだした。最初の大岩は西側から巻き上げ、2つ目と3つ目は東側の雪を使って巻き上げた。そして次第に尾根が広くなると三岩山山頂である。すかいさん製の山名板が下がっていた。鍋クウシ山から2時間40分。写真左は尾根の交差部で張り出した雪庇でこんなところが数か所あり越えるのに難儀した、中央は別の雪庇の乗り越え部を上から撮ったところ、右は三岩山山頂


阿能川岳へは広い稜線の緩やかな尾根筋で、今までとは一変しまるで高速道路のようである。それでも風は収まるどころか一段と強さを増し、耐風姿勢をとる間隔が狭くなってくる。それでもどうにか阿能川岳への分岐まで来たが、ここで一旦高度を下げるため北東方向には雪庇が作られ、絶え間なく続く地吹雪でホワイトアウトの様相である。暫しウロウロするが、どうしても雪庇を下れるとは思えず、ましてや登り返しは余計に大変だと判断してここで撤退を決めた。まだ夜明け前の5時56分だった。次第に白みだす中を戻るのだが、トレースは消えGPSの軌跡だけを頼りに下った。明るくなって見えてくる痩せ尾根や雪庇の様相に、馬鹿さ加減に呆れながらの下山となった。11時5分クルマに戻り、12時間近くに及ぶ山行に終止符を打った。余りの悪条件の中でカメラを取り出す余裕はなかったので写真が少ない。写真左は阿能川岳への分岐付近で写真はこれだけでとても撮影できる状況になかった、中央は戻りに撮った雪庇帯

埼玉の山、金岳

破風山近くにはもう一つ未踏の山がある。金岳であるが、ネットを探ってもほとんど情報はない。


金岳(511m、皆野)へは阿熊川沿いに行くと横田倉から室久保まで車道が通じている。最深部近くまで進むと粟野への道標が立っており、直ぐ前の余地にクルマを置き山道へ入った。民家の裏を抜け、ゆず畑を上ると山腹に沿うように峠に向かって続いていた。峠からは尾根筋に乗って南下するが、直ぐに大きな岩稜となり行く手を塞いでいた。東側を巻き上げて551Pからさらに南下すると再び大きな岩稜となる。ここも東側の急斜面を慎重に巻きながらやっとのことで511Pの手前まで辿り着いた。ところがこの先は急勾配の下りで、その先も急傾斜が続いていた。命を懸けていく場所でもなく早々に撤退を決めてピストンした。往復2時間10分。写真左は室久保から見た金岳で一番左のピークが届かなかった511P、中央は最終到達点から見た金岳

埼玉の山、鞍掛山、大前山、天狗山、小峰山

3年前に破風山に登っているが、今日は札立峠の反対側の4つの山に出かけてきた。


鞍掛山(590m、皆野)へは南側の頼母沢地区から取り付いた。登山口は秩父霊場第34番水潜寺への案内が立っている。ジグザグの道を行くと白梅やピンクの桃が咲き誇っていた。ほどなく山道は水平道となり20分余りで札立峠となる。ここからもしっかりした踏み跡が続き、如金さまを過ぎると鞍掛山となる。単なる通過点といった感じだ。写真左は登山口、中央は登山道の満開の花々、右は鞍掛山


大前山(653m、皆野)へは、痩せ尾根やクサリの下がる岩場を通過するのでちょっとばかりスリリングだ。ピークは平坦な尾根筋の西端にあり、その先には頸の取れた石仏が祀られている。写真左は大前山、右はその先の石仏


天狗山(650m、皆野)はすぐ隣のピークで50mほどを登り返すことになる。山頂には大きめの石祠が建っていた。写真左はデング山の石祠と山板、右は小峰山の手前のピークでこの先に小峰山


小峰山(629m、皆野)へはピークを一つ越えていくが、山頂手前の鞍部から南側の巻き道に引っ張られてしまった。気付いた時には結構来ていたので反対側の尾根筋から山頂を踏んだ。三角点標柱とフジオカTKの青い山名板が下がっていた。戻りは往路をピストンした。計2時間30分。写真左は小峰山ピーク、中央は戻りの際のクサリ場

還暦オヤジ
やんちゃ街道まっしぐら!!

ゲストブック
こちらをクリックして下さい。
山々のリスト
栃木(345座完登)
 栃木百名山
群馬(482/545)
茨城(138座完登)
埼玉 (238/241)
東京 (90/169)
神奈川 (195/244)
千葉 (85/86)
関東百名山と関東百山(136/138)
日本百名山(21/100)

塩谷の三角点(全63)

山々&山ラン
アクセスカウンター
  • 累計:

記事検索