2011年04月

女夫渕から黒沢林道を詰めて孫兵衛山~黒岩山を周回

孫兵衛山を何処から登ろうか検討していたが、黒岩山の山ランが未ゲットだったので女夫渕温泉から黒沢林道を詰めて両山を周回することにした。前夜7時過ぎに横になったがルートのことを考えていると目が冴えて眠れない。仕方なくクルマに乗り出し女夫渕を目指した。23時、女夫渕の駐車場で2時に目覚ましをセットして横になった。


2時31分、ヘッ電と手持ちライトを持ちゲートを抜けた。直ぐに道路は荒れだし灌木と落石の連続となる。魚沢と合流した辺りから林道は残雪が多くなり、崩落地の雪面をトラバースするのでアイゼンを着けた。林道は荒廃が進み至る所で崩落し、崖上からは雪解け水が滝のように流れ落ち林道が滝壺のようになっているところもある。暗がりで足元も悪いし先の行程を考えのんびり歩くと、地形図の林道終点の位置から少しばかり先で林道は崩落によって沢底に落ちていた。高原山探訪さんの「女夫渕~引馬峠~孫兵衛山~黒岩山~鬼怒沼周回(2004年10月)」によれば、この先に黒沢第4号橋がありそこが尾根取り付きとある。目を凝らして辺りを見回すと、崩れ落ちた斜面に薄いが踏み跡らしきものがあり、その上部に残雪が続いていたのでアイゼンで足元を確保しながら慎重に進んだ。しばらく行くが崩落が酷くトラバースは諦め灌木に掴まりながら沢筋に降りた。丁度この辺りで夜明けを迎え、沢の上方にガードレールのあるコンクリート橋が見えてきた。写真左は切れ落ちた林道終点でその先の雪渓を歩いた、中央は沢筋から見上げた黒沢第4号橋、右は取り付いた斜面でネマガリタケ薮は薄い


勢い駆け上がり黒沢第4号橋を渡るがこの先に道型は無く、雪渓に沿ってコメツガの斜面を登るがネマガリタケは薄く気にならない。取り付きからほどなくの標高1450m辺りからは残雪が続くようになり、引馬峠を目指し急勾配の尾根筋を上がるが、足元からはカツカツとアイゼンがクラストした雪面を掴む小気味良い音が跳ね返ってくる。普段の山登りとは異次元の感覚だ。1781Pを左側に避け谷間を上がり、左からの尾根上の急勾配を一登りすると平五郎山から続く尾根筋との出合いとなるホーロク平となった。ここからは一度軽く高度を下げ、台倉高山から続く県境尾根の鞍部となる引馬峠にトラバース気味に上がった。写真左はホーロク平手前の急登、中央は引馬峠となる鞍部付近を見上げたところ、右は引馬峠付近

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引馬峠は平らな雪原となっていて、どこが峠筋かははっきりしないしそれらしき表示物も見当たらなかった。山部さんが探索した引馬峠水準点近くには名板が設置してあるということだったがこれも見つけられなかった。残念(´・ω・`;A) 孫兵衛山までは直線で2km余りだがその高低差は200mもなく、軽いアップダウンの県境尾根歩きで徐々に高度を上げた。孫兵衛山南峰が近付くと傾斜を増すのでややトラバース気味にピークに方向を換えると浅い鞍部となりほどなく山頂となった。オオシラビソの木立の中で山名板が一枚下がっていたが三角点は雪の下で確認できず、生憎のガスで展望も無い。写真左は県境尾根1915P手前の登り、中央は孫兵衛山山頂、右は孫兵衛山南峰の下りから見た黒岩山

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緩やかな山頂尾根を南峰に戻り、西に方向を換えると急勾配の下りとなる。手掛かりとなる立木もなくアイゼンの踵部を一歩毎打ち込みながら100m余りを下降すると傾斜も緩やかとなり緩やかな登りに転じる。県境尾根を北から吹き抜ける風は冷たく、この時点でも気温は氷点下で雪面は適度にクラストしている。この辺りからガスの切れ間に目指す黒岩山の北東ピークが見えだした。少しずつ勾配は増すが順調に歩き北東ピーク直下まで来たところで突然足が止まった。10m近くの壁が目の前に立ち塞がり行く手を遮っていた。左右に回り込む選択肢もあると思ったが、次の瞬間壁に取り付いている自分が居た。60度近くはあるだろう雪壁にアイゼンを打ち込み、シャクナゲの枝に必死に手を伸ばし体を持ち上げながら這い上がった。登り切れば達成感が支配するがレンズで見下ろす足元は震えてた。ここからは小さなアップダウンで山頂尾根を南進し、最後に急登すると黒岩山山頂となった。尖った珪化岩が雪面から顔を出しているだけの山頂は薮深き夏山の様相とは一変していた。曇り空で相変わらず遠望は利かないが、鬼怒沼山やその後方の燕巣山、その左手には根名草山から手白山への尾根筋が見えていた。写真左は黒岩山の北の肩近くから見た黒岩山ピーク、中央は黒岩山山頂に突き出た珪化岩、右は山名板と尾瀬方向

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黒岩山からは黒沼田代を抜け魚沢林道を下る予定を立てていた。夏道で邪魔をしたシャクナゲなどの灌木や多くの倒木は雪の下にあり、オオシラビソの疎林と化した斜面を黒沼田代に向かって下った。ほどなく黒沼田代となったが気温の上昇で踏み抜きが多くなりワカンに履き換えた。野球場2面ほどの黒沼田代を横断し東方向の広い尾根筋を快適に下り、標高1700mまで降りたところで尾根筋を離れ魚沢林道の方向に針路をかえた。尾根筋を切り通したところで林道へ降り立ち、残雪の残る林道を下った。ところがこの魚沢林道は至る所で崩落し、凡そ10mとまともな道は続かず危険箇所の連続となった。 この状況は黒沢林道との出合まで続いており既に林道の体は成してはいなかった。締めは沈下橋での黒沢渡渉となり、やっとのことで黒沢林道に復帰した。真っ暗い中よくもまあ―来たもんだというような悪路を戻り、全行程11時間余りの山行を終えた。写真左は黒沼田代から見た黒岩山、中央は下山尾根筋から見た孫兵衛山、右は崩落し道型を失った魚沢林道

IMGP4162IMGP4168110429孫兵衛山・黒岩山
写真左は黒沢林道出合いの沈下橋、中央は黒沢林道の崩落地で残雪の上に落石があり近々の崩落があった模様、その先では滝のように水が落ち林道は滝壺の様相


女夫渕黒沢林道ゲート(2:31)→黒沢第4号橋(4:45)→引馬峠(6:14)→孫兵衛山(7:16-7:30)→黒岩山(9:23-9:51)→魚沢林道出合い(11:22)→女夫渕黒沢林道ゲート(13:40)

残雪の黒滝股山

福島側から黒滝股山へ登ろうと計画したが、どうしても13時半までには帰宅しないといけないので暗いうちから歩くことにした。前夜の降雪もあり、結果的にはこの早出が功を奏したことになった。天気予報は曇りだが、栃木側は霧雨で最悪偵察でも良しと軽い気持ちで登山口となる水無小出原地区にクルマを入れた。アスファルト舗装が切れると直ぐゲートとなり、車進入禁止・入山禁止と標示がされていた。ゲート横にクルマを停める。


3時20分、ゲートを抜け林道に入った。月明かりの中の雪道を歩くこと10分、1095Pへの尾根取り付きとなる。取り付いたが傾斜がきつい上に雪と落ち葉で滑って登れない。早々とアイゼンを取り出した。尾根筋には雑木の幼木が多く、歩き難いが手掛かりとしては丁度良い。ここで一気に350mを上げ50分で1095Pとなった。この先はアップダウンを繰り返しながら300m余りを上げることになるが、直線距離で2kmはきつい歩きとなった。1175Pが近付くにつれてアスナロが多くなり次第にペースが落ちてくるが、積雪が増してくると残雪を繋いで歩けるようになる。それでもアスナロ薮は容赦なく続き、所々で尾根筋を塞ぎ出す。こんな場合は無理をせず、少々足元は不安だけど西側の斜面をトラバース気味に進んだ。写真左は林道ゲート口、中央は尾根筋のアスナロ薮、右は山頂直下の急勾配


雪はどんどん深くなり、最後の急勾配では膝下くらいのラッセルとなった。雪と格闘すること3時間半余りでやっとのことで山頂となったが、全方向の絶景が疲れを吹き飛ばしてくれた。東側には那須の山々が、南西方向には男鹿岳、大佐飛山、日留賀岳などの塩那の山並が見える。写真左は山頂の山名板、中央は東側県境尾根で先には三倉山・大倉山・茶臼岳などが見える、右は塩那の山並(大佐飛山・男鹿岳・鹿又岳・日留賀岳)

110421黒滝股山
戻りはピストンで下ったが、気温の上昇に伴い雪は腐りだし、アイゼンに付着した雪が団子状態となり苦労した。早出したことが設定時間内の往復を可能にしてくれた。写真左は山頂直下のトレース、中央は急勾配のトレース

林道ゲート(3:20)→1095P(4:21)→黒滝股山(6:51-7:15)→1095P(8:56)→林道ゲート(9:21) 行動時間:6時間01分

芹沢林道から次郎岳・荒海山を縦走し福島側へ下山

10日前に下見の際にスタックした上坪の雪はほとんど解け、その先も雪は無く林道ゲート口まで難なく進むことができた。上坪から歩くことを覚悟して早めに家を出たので1時間半ばかり仮眠して5時前に起き出した。
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今朝は氷点下と冷え込み一枚余計に着込み、5時8分、芹沢林道のゲートを抜けた。第1、第2、第3と芹沢上流砂防ダムを過ぎるほどに残雪は多くなるが、雪は締まり沈み込みはほとんどないが先の行程を考えゆっくり歩いた。雪面には一つの靴跡が残り先行者があったようだがその横には熊の足跡らしきものもある。第2砂防ダム手前では目指す次郎岳と1530峰の頭が見えてくる。第3砂防ダムの先ではピンクのテープが林道から沢に向う斜面にあり踏み跡は対岸に向かっているようだったが、はっきりした林道の道型が続いていたのでそのまま直進した。4km近く歩いただろうか、林道は終わり沢の合流地点となる。その間の尾根が予定していた取り付き地点であることを地形図で確認し、やおら斜面に取り付いた。ザレた急斜面で登り辛いが、必死で上がるとシャクナゲ薮の尾根筋となった。所々に残雪はあるがまだまだ拾えるような状況ではなく、仕方なく醜いシャクナゲ薮に頭を沈め、両手で枝を分け足を差し込んで体を持ち上げる、なんてことを繰り返しながら徐々に高度を上げた。写真左は芹沢林道で見かけた熊の足跡、中央は林道終点から取り付いた枝尾根、右は1150付近の薮尾根
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150m近くを必死で上がり1200まで来ると残雪が続くようになりアイゼンを装着した。こうなると一気にペースは上がり、1280-1350は気持ちの良い雪原状態となり、次第に近づく山頂を眺めながらの歩きとなる。1350では一転し急傾斜地となってくるが、最初のうちは尾根筋に雪は無く笹尾根を上がった。1400からは雪一面となり、なるべく西側の硬い斜面を選んでアイゼンとピッケルでへばり付くように上がった。陽の差す南側では明らかに緩み始めているので、この時点で下りは福島側かなと頭をよぎっていた。写真左は1300前後の比較的緩やかな斜面で前方右が次郎岳ピーク、中央は1400近くの斜面、右は同部から見た西側で先には安ヶ森山方向の県境尾根が見える
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1450では大岩が南面に突き出し、それを避けるように西側の急斜面をアイスクライミング(やったことが無いのでどんなものかは分からないがw)もどきで這い上がった。やっとのことで1500尾根上に上がると360度の絶景に度肝を抜かれるが、これからの気温の上昇を考えるとピストンでの下山は無理と判断し福島側へ下ることにした。1530Pに上がり、東側を見ると250m先の次郎岳は目の前に、900m先の荒海山までも近くに見える。次郎岳への稜線には大きな雪庇が張り出しているが、シャクナゲ薮に比べたら格段に歩きやすいわけで、足元に神経を集中し慎重に歩を進めた。取り付きから2時間余りの8時41分、天空に突き出た次郎岳山頂を踏む。雲一つない青空の中に視界を遮るものは一切なく、余りの眺望の素晴らしさに狭いピークの恐怖感は覚えない。それも一瞬のことで足元の狭さに我に返ると、少し下った鞍部に腰を下ろした。写真左は大岩を巻き上げ尾根上へ登る最後の壁、中央は1530Pから見た次郎岳(右のピーク)と荒海山(左のピーク)への県境尾根、右は次郎岳山頂で奥は高原山で手前からの稜線は日向倉山
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しばしの休憩後荒海山に向かう。この間も大きな雪庇が形成されているのでシャクナゲ薮は気にならないだろうと思っていたが、直ぐの小ピークからの下降ではその雪庇が尾根上に張り出し下ることを許さない。そこで北側に回り込みシャクナゲの枝を手かがりにアイゼンを突き立てながら斜行した。どうにかクリアできたと思った次の瞬間、シャクナゲにアイゼンを引っ掛け頭から一回転し斜面に投げ出された。滑り落ちながら必死にアイゼンを雪面に立てるとやっと止まってくれた。何処にも怪我のないことを確認し、起き上がって上を見ると20mほど上に帽子が落ちていた。九死に一生である。しばし呆然としながらも気を取り直し登り返した。その後も危険個所の連続で勾配を増すと雪庇は不連続となり、次の雪庇を乗越えなければならない。幸いなことに雪質は締まっているのでアイゼン、ピッケルを駆使してどうにかクリアし凡そ50分で荒海山に到着した。写真左は次郎岳から見た荒海山、中央は荒海山から見た次郎岳で左の尾根が日向倉山への稜線でかなりの急勾配でその先には明神ヶ岳・女峰山などが見える、右は荒海山からの北側の景観で七ヶ岳などが広がる
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ここは3度目となるがこの時期は初めてで、相変わらず続く好天の中絶景を楽しみ、福島側の登山口となる八総銅山跡に向けて下山を始めた。山頂北側の夏道ではロープが下がる急斜面では降下地点の見極めに苦労し決死の垂直下降となった。幸い事なきを得たがロープの必要性を思い知らされた。この先も長い尾根歩きを余儀なくされたが、夏道と残雪を適当に乗り換えて荒海川への下降点まで来た。予想通り登坂路は未だ雪渓の中にあり、勢いよく流れる雪解け水で一筋の沢となっていた。腐った雪でアイゼンは効き難く、沢の中を慎重に下りやっとのことで荒海川まで下りた。残雪はこの後も続き、八総銅山跡までの廃林道は雪に埋まっていた。この先は釣堀LostLuresまで歩き、荒海山の山頂から携帯で頼んでおいたレスキュー?に拾われてクルマまで戻った。いろんな経験をすることになった9時間・16kmに及ぶ山行を無事終えることができた。滑落した際に首を痛めたらしい、後ろを向くのが辛いw 写真左は山頂で雪庇越しに高原山を見る、中央は町界尾根下降点からの雪渓で沢を下る

芹沢林道ゲート口(5:08)→林道終点・尾根取り付き(6:31)→1530P(8:27)→次郎岳(8:41-9:01)→荒海山(9:53-10:09)→八総銅山跡(12:56)→釣堀LostLuras(13:55)

日向倉山~滝向山を縦走

中三依から芹沢沿いに進み、滝向山南西尾根の起点を下山地点と定め中坪にクルマを停めた。


6時34分、車道を歩き出し上坪から鉄塔巡視路に取り付いた。鉄塔は主稜線を越え芝草山方向へ続いているので、少なくても主稜線までは整備された巡視路が約束されていると考え、遠回りとはなるがこのルートを選択した。案の定、巡視路は例の如く急勾配では階段が作られ主稜線との出合までは軽快に歩けた。ただ雪山装備を背負ったためか息が上がり足取りが重い。主稜線上の106号鉄塔を過ぎても次の鉄塔への巡視路が続き歩きやすい。105号鉄塔への巡視路との分岐となる尾根の出合いから先では残雪が見えだしてくる。1090Pまで来ると前方に日向倉山が見え出してくるので自然とペースが上がるが、1200Pから先は痩せ尾根となりシャクナゲが顔を覗かせてくる。写真左は巡視路取り付き食後の沢伝いで先の尾根を上がった、中央は1090P先から見える日向倉山、右はピーク手前の痩せ尾根


岩が稜線を塞ぎ南側に巻いたり、大したシャクナゲ薮ではないが所々で行く手を邪魔をする。それでも雲一つない青空に四方の山並は際立ち、素晴らしい眺めが広がる。左手には持丸山とその後方に明神ヶ岳が見え、尾根筋の右前方には次第に近付く日向倉山ピークがあり、その右手には次郎岳~荒海山の冠雪した県境の峰々から芝草山に連なる稜線も捉えられる。山頂が近付くにつれ稜線上は残雪が多くなるが良く締まっているので踏み抜くことはない。9時52分、悪戦苦闘の末、やっとのことで日向倉山山頂となる。視界は南西方向開けているだけで、他は木立ち越しとなるので絶景とは言えないが、残雪のピークに腰を下ろししばしの休憩となった。写真左は山頂で三角点は残雪の下、中央は左手が持丸山でその右裏手に明神ヶ岳、右は山頂より下がったところより見た次郎岳~荒海海をズムーアップで

110414日向倉山・滝向山
次の滝向山までは辿り来た尾根筋を鉄塔巡視路の主稜線出合まで戻り、さらに尾根筋を進んだ。1071Pを過ぎた辺りからは枝尾根が左右に派生しており、主稜線を外さぬように急勾配を下った。ほどなく930の緩やかな尾根筋となると急に倒木が増えてきて邪魔をする。いよいよ滝向山のピークが眼前に見えだすと、突然岩稜が尾根筋を塞いだ。両サイドとも急稜なので一瞬戸惑うも、左手の放置されたワイヤーロープと灌木の根を手掛かりに急斜面を這い上がり尾根筋に上がった。その後は小さな鞍部から急斜面を一登りすると滝向山山頂となった。三角点といつもの山名板が3枚下がる山頂は雑木の中で余り展望は無い。ここで30分の大休止を決め込み、予定通り南西尾根を下り中坪に降りた。本格的な山歩きから一ヶ月近く遠退いていたためか、7時間超の残雪の山歩きはハードだった。写真左は930尾根筋の倒木、中央は滝向山山頂

中坪(6:34)→上坪鉄塔巡視路取り付き(6:53)→主稜線出合(8:15)→日向倉山(9:52-10:05)→主稜線出合(11:21)→滝向山(12:41-13:13)→中坪(13:39) 計7時間5分

茨城の山⑲、天神山、天妃山、高天原、弁天山

茨城県で最後に残った4山に登ってきた。4つとも海沿いなので東日本震災の影響を心配しながらの山行となったが、幸いになことにいずれの山とも無事だった。


天神山は東海村にあり、原発の近くにある山だ。山の北側へ回り込むと登山口の案内板があった。その横を駆け上がるとあっという間に4等三角点と「県下一低い山17.4m天神山」との山名板があった。ここで地形図を見てみると天神山のピークはここから東に150mの位置で高度22mとなっている。そこでそちらの方に進んでみた。民家の上の薮を切り開いた高みがその位置だったが、それらしき標示は無かった。写真左は17.4Pで三角点峰だ、中央は22Pで地震による亀裂が入っていた


天妃山は磯原海岸にちょこっと突き出た小さな山で、弟橘媛(オトタチバナヒメ)神社の参道を上がると直ぐに山頂となる。今回の震災の津波は参道入り口を越えたようで、鳥居近くの灯篭は倒れていた。辺りの建物は波をかぶり瓦礫が散乱していた。急ぎ足で山頂社の裏手の3等三角点を確認し山を下りた。写真左は登り口となる鳥居、中央は天妃山全景で建物一階部分まで津波が来ていた


高天原は港ヶ丘児童公園となっており、山頂の位置にはフェンスに囲まれた社が建っていた。また、子どもたちが遊ぶ中でオヤジはかなり異様な存在で足早に公園を出た。写真左は山頂部にある社、中央は公園風景で高みには水道施設?


弁天山は鹿島工業地帯の鹿島南共同発電所の中にあり、許可を取らないと登ることが出来ない。この日はあいにく日曜日だったので、僅か20mほど先の山頂は踏めず写真だけを撮って撤退した。実際に山頂は踏んでないので登ったことにはならないが、地震騒動が落ち付いた頃に再訪出来ればと思う。写真左は発電所の守衛室横から見た弁天山

還暦オヤジ
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