2010年06月
2010/3/7に雨のために登山口で引き返した和名倉山に、関東百名山99座目としてリベンジしてきた。前回は登山口の大洞橋手前で車中泊をしていたところ、コンコンと窓を叩かれるという恐怖の体験をしていたので、今回は大分手前の二瀬ダムサイドの駐車場で車中泊を決め込んだ。雨音が車の屋根を叩くが少々の雨なら決行するつもりで横になった。4時半過ぎに目覚めるが、やっぱり雨だ。躊躇しながらも大洞林道の様子も確認がてら大洞橋まで行ってみた。林道には小さな落石がゴロゴロしていたが、大洞橋手前までは問題なく入れた。
実は今回の山行は仙波尾根~仁田小屋尾根を周回出来ないものかと考えていた。そこで5時半前に大洞橋を渡り廃林道を進んだ。いたる所で崩落し瓦礫と化した岩を乗り越えて歩くと、20分で仁田小屋の取り付き地点を過ぎる。そのまま荒れた林道を進み、惣小屋跡下降点の踏み跡を見つけ下ると数分で松葉沢となる。松葉沢を渡渉し廃道を辿ると大洞川との出合いとなる。仙波尾根に取り付くには大洞川を渡らないといけないが、水量が多くとても渡れる状況ではない。上流側の堰堤を高巻きしながら渡渉点を探すが見当たらない。結局、1時間近く辺りを偵察したが渡渉を諦め仁田小屋尾根に取り付くことにした。川に入れば渡れるが、以後の行程を考えると靴を濡らすわけにはいかないと考えたからだ。写真左は大洞橋手前のゲート、中央は林道を塞ぐ崩落、右は渡渉を断念した大洞川
仁田小屋の取り付き点は小さな橋のたもとにあり、古い砂防の間をクネクネと登ることから始まる。ピンクテープが所々に下がり迷うところはないが、杉林の急勾配はひたすら続く。防獣ネットを過ぎると直ぐに仁田小屋となるが、使われいる形跡はない。ここからも急勾配の連続で、700m近くを一気に上げ1時間半余りで仁田小屋ノ頭となった。笹薮の中のピークには三角点標石があるだけで、あいにくの曇り空で視界はない。写真左は仁田小屋への取り付き地点、中央は仁田小屋、右は仁田小屋ノ頭
仁田小屋ノ頭から尾根歩きとなるので勾配はきつくないが、松葉沢ノ頭の手前までは笹薮のトンネルが延々と続きびしょ濡れとなる。松葉沢ノ頭は広い疎林体で、テープを追いながら尾根筋を外さないように進むと小さな鞍部となる。ここから再び笹薮のトンネルが少し続くと、ワイヤーがウィンチ、ドラム缶など一帯に散乱した平坦地となる。この先もいたる所にワイヤーの残骸が転がり、開発の傷跡が痛々しい山域だ。1800を越えるとカラマツ林とシラカバ林の境界を辿るように登ると山頂尾根の東端となる。この尾根上は原生林の半分が倒木となっている様な状態で、倒木の間をマーキングを追いながら進んだ。林道取り付きから3時間半で和名倉山となったが、時計は既に11時を回っていた。写真左はあちらこちらに散見したワイヤー残骸、中央は山頂尾根の倒木、右は和名倉山の山頂
時間的にはここで下山とするのが常道なのだろうが、どうしても仙波尾根が気になる。東仙波までは直線で2.5km近くあるが、ルート上の等高線の間隔は広く、高低差は大したことない。東仙波からの下山時間を余裕をみて5時間とし、14時に出れば明るいうちに下山できると踏んで仙波尾根を目指した。案の定、和名倉山からはしっかりした踏み跡となるのでペースは順調で東仙波となった。西には西仙波、東を見れば前仙波が近くに見える。まず西仙波に向かった。小さなアップダウンはあるが、ダッシュで往復し、次の前仙波に向かった。笹原の尾根上には獣道が幾筋にも交差し、人の踏み跡と一体化し続いている。前仙波ではちょうどガスも晴れ、飛龍山~雲取山への稜線が眼前に開け、しばしの休憩タイムとした。写真左は東仙波より見た西仙波、中央は前仙波へ続く笹尾根、右は前仙波から見える飛龍山~雲取山
シャツを着替え、タオルや手袋を新しいものと換え下山を開始した。東仙波手前でショートカットし、和名倉山へのルートに復帰した後は丹念に往路を辿り、想定時間よりかなり早く登山口に戻った。感想を一言.....仁田小屋ノ頭までの登りはきつい。その先の笹薮のトンネルは応える。仁田小屋ノ頭からの下りもきつい。大洞川渡渉が難しい事が分かっていなければ、前仙波~カバヤノ頭~大洞川と下山していたかもと思うと怖くなる。写真左は嫌というほど連続する笹薮、中央は仁田小屋ノ頭からの急傾斜の下り、右は大洞林道から見える和名倉山(中央のピーク)と仁田小屋ノ頭(右の尾根)
実は今回の山行は仙波尾根~仁田小屋尾根を周回出来ないものかと考えていた。そこで5時半前に大洞橋を渡り廃林道を進んだ。いたる所で崩落し瓦礫と化した岩を乗り越えて歩くと、20分で仁田小屋の取り付き地点を過ぎる。そのまま荒れた林道を進み、惣小屋跡下降点の踏み跡を見つけ下ると数分で松葉沢となる。松葉沢を渡渉し廃道を辿ると大洞川との出合いとなる。仙波尾根に取り付くには大洞川を渡らないといけないが、水量が多くとても渡れる状況ではない。上流側の堰堤を高巻きしながら渡渉点を探すが見当たらない。結局、1時間近く辺りを偵察したが渡渉を諦め仁田小屋尾根に取り付くことにした。川に入れば渡れるが、以後の行程を考えると靴を濡らすわけにはいかないと考えたからだ。写真左は大洞橋手前のゲート、中央は林道を塞ぐ崩落、右は渡渉を断念した大洞川
仁田小屋の取り付き点は小さな橋のたもとにあり、古い砂防の間をクネクネと登ることから始まる。ピンクテープが所々に下がり迷うところはないが、杉林の急勾配はひたすら続く。防獣ネットを過ぎると直ぐに仁田小屋となるが、使われいる形跡はない。ここからも急勾配の連続で、700m近くを一気に上げ1時間半余りで仁田小屋ノ頭となった。笹薮の中のピークには三角点標石があるだけで、あいにくの曇り空で視界はない。写真左は仁田小屋への取り付き地点、中央は仁田小屋、右は仁田小屋ノ頭
仁田小屋ノ頭から尾根歩きとなるので勾配はきつくないが、松葉沢ノ頭の手前までは笹薮のトンネルが延々と続きびしょ濡れとなる。松葉沢ノ頭は広い疎林体で、テープを追いながら尾根筋を外さないように進むと小さな鞍部となる。ここから再び笹薮のトンネルが少し続くと、ワイヤーがウィンチ、ドラム缶など一帯に散乱した平坦地となる。この先もいたる所にワイヤーの残骸が転がり、開発の傷跡が痛々しい山域だ。1800を越えるとカラマツ林とシラカバ林の境界を辿るように登ると山頂尾根の東端となる。この尾根上は原生林の半分が倒木となっている様な状態で、倒木の間をマーキングを追いながら進んだ。林道取り付きから3時間半で和名倉山となったが、時計は既に11時を回っていた。写真左はあちらこちらに散見したワイヤー残骸、中央は山頂尾根の倒木、右は和名倉山の山頂
時間的にはここで下山とするのが常道なのだろうが、どうしても仙波尾根が気になる。東仙波までは直線で2.5km近くあるが、ルート上の等高線の間隔は広く、高低差は大したことない。東仙波からの下山時間を余裕をみて5時間とし、14時に出れば明るいうちに下山できると踏んで仙波尾根を目指した。案の定、和名倉山からはしっかりした踏み跡となるのでペースは順調で東仙波となった。西には西仙波、東を見れば前仙波が近くに見える。まず西仙波に向かった。小さなアップダウンはあるが、ダッシュで往復し、次の前仙波に向かった。笹原の尾根上には獣道が幾筋にも交差し、人の踏み跡と一体化し続いている。前仙波ではちょうどガスも晴れ、飛龍山~雲取山への稜線が眼前に開け、しばしの休憩タイムとした。写真左は東仙波より見た西仙波、中央は前仙波へ続く笹尾根、右は前仙波から見える飛龍山~雲取山
シャツを着替え、タオルや手袋を新しいものと換え下山を開始した。東仙波手前でショートカットし、和名倉山へのルートに復帰した後は丹念に往路を辿り、想定時間よりかなり早く登山口に戻った。感想を一言.....仁田小屋ノ頭までの登りはきつい。その先の笹薮のトンネルは応える。仁田小屋ノ頭からの下りもきつい。大洞川渡渉が難しい事が分かっていなければ、前仙波~カバヤノ頭~大洞川と下山していたかもと思うと怖くなる。写真左は嫌というほど連続する笹薮、中央は仁田小屋ノ頭からの急傾斜の下り、右は大洞林道から見える和名倉山(中央のピーク)と仁田小屋ノ頭(右の尾根)
野球練習のあがりで久しぶりに飲んで、そのまま駐車場のクルマの中で横になった。4時半に起き出し、最初に権現山に向かった。
権現山はアジア学園の裏山と言うか中にあるといった感じで、駐車場から真っ直ぐに山頂に向かった。取り付きをミスり学園内の農地の中を歩いてしまい、仕舞いには防獣用の電気柵に行く手を阻まれてしまった。途中まで戻り神社の参道となると、真っ直ぐ前には温泉神社の社が見えてきた。杉木立の中の社を一周し、参道を歩いて10分で往復した。写真左は登山口となる温泉神社の鳥居、中央は山頂の温泉神社
藤荷田山は畜産草地研究所の敷地内にある山のようだ。東北道の側道を藤荷田山の方向に進むと放牧地が出てくる。この先の小丘が目指す藤荷田山であると分かるが牧柵で入れない。そこで牧柵に沿って歩き、草地を過ぎると有刺鉄線が張られた雑木山となる。少しばかり高度を上げ、隣の東北道が眼下となるとピーク稜線となる。ここから稜線筋を辿ると、2階建ての生態観測施設となり、その奥には社があった。山頂を示すようなものは皆無だったが、GPSもこの地点をピークとしていた。往路を戻り30分で往復した。写真左は放牧地の先に見える藤荷田山、中央は山頂の社
権現山はアジア学園の裏山と言うか中にあるといった感じで、駐車場から真っ直ぐに山頂に向かった。取り付きをミスり学園内の農地の中を歩いてしまい、仕舞いには防獣用の電気柵に行く手を阻まれてしまった。途中まで戻り神社の参道となると、真っ直ぐ前には温泉神社の社が見えてきた。杉木立の中の社を一周し、参道を歩いて10分で往復した。写真左は登山口となる温泉神社の鳥居、中央は山頂の温泉神社
藤荷田山は畜産草地研究所の敷地内にある山のようだ。東北道の側道を藤荷田山の方向に進むと放牧地が出てくる。この先の小丘が目指す藤荷田山であると分かるが牧柵で入れない。そこで牧柵に沿って歩き、草地を過ぎると有刺鉄線が張られた雑木山となる。少しばかり高度を上げ、隣の東北道が眼下となるとピーク稜線となる。ここから稜線筋を辿ると、2階建ての生態観測施設となり、その奥には社があった。山頂を示すようなものは皆無だったが、GPSもこの地点をピークとしていた。往路を戻り30分で往復した。写真左は放牧地の先に見える藤荷田山、中央は山頂の社