2010年04月

鴫内山から大佐飛山を目指すもチシマザサに敢えなく敗退(´・ω・`;A)

今日は野球親爺さんとN垣さんの3人で鴫内山から大佐飛山を往復し百村山へ戻るルートをあわよくば辿ろうと計画した。今年は雪が多いとはいえ、ここのところは雨が続き、残雪を期待するも実のところ半信半疑で出掛けることになった。


巻川林道で待ち合わせ、林道分岐に車を置いて歩き始めたのは小雨降る4時前だった。勾配のきつい荒れた林道を10分余り歩くと、手持ちのライトの先に「鴫内山登山口」と書かれたルート図入りの案内板が飛び込んできた。相変わらず小雨は続いているが、上着を一枚脱いで熊笹の茂る登山道に入った。露で足元は直ぐにびしょ濡れとなるが、最初のうちは緩やかな登りが続き快調だ。ところが登山口から15分程で稜線上となり、針路を左に向けるとロープが張られた急登が始まった。勾配に加えて雨でぬるんだ路面は容赦なく足をすくい、ロープにしがみつきながらの登りとなる。5分余りで勾配はいくぶん緩くなるも、登り一辺倒の直登が続き30分で分岐となった。少しばかりの緩斜面を過ぎると再びロープの張られた急登となる。滑るは、滑るは、半端ない勾配を青息吐息でやっとのことで登りきると、直ぐに木立の中の山頂となった。生憎の空模様で視界は無い。写真左は登山口に設置された案内板、右は鴫内山山頂


東村山の局に拾ってもらい、どうにか山ランをクリアできた。ここまでの所要時間1時間40分は予想外に良く、このペースなら大佐飛山も踏めるかなと勇んで先を急いだ。尾根上はきれいに刈り払われていて歩きやすく、勾配も緩やかですこぶる順調だ。高度を上げるに伴い次第に残雪も現れてくる。ところが黒滝山~大佐飛山へのルートとの出合いである山村山までの中程まで来ると、突然チシマザサが行く手を塞いできた。ここで刈り払いがストップしていたのだった。しばし藪漕ぎを覚悟し辺りを探るも、雨に濡れ、下に向かって倒れかかるチシマザサに挑む気力は消え失せてしまった。こうなると結論は早い。躊躇なく引き返すこととし、ピストンで鴫内山に戻り、分岐部からは鉄塔巡視路を辿る旧来のルート(?)を使い林道に降りた。鉄塔巡視路はカタクリロードと名付けたいくらいにクタクリが群生していて、足の踏み場に困るほどだった。写真左は立ちはだかるチシマザサ、中央は急勾配地に張られたロープ、右は鉄塔巡視路のカタクリの花

季節外れのラッセルで於呂倶羅山へ

山と野球の仲間である野球親爺さんと於呂倶羅山へ出掛けてきた。あわよくば高薙山まで足を伸ばそうと残雪期のこの時期を狙っていた。が、金曜日夜からは40年ぶりとなる季節外れの大雪に見舞われ、不安の中の決行となった。早朝3時半の待ち合わせに、3時に起き出しコンビニで買い出ししようと外に出たら、なんと野球親爺さんが既に到着していた。どうも寝付けなかったようで30分も早く着いてしまったのだw もとより早出の予定だったので願ってもない誤算となり、早々に用具を乗せ換え出発となった。日光市に入ると路肩には雪が現れ、いろは坂を登ると辺りは雪原となっていた。山王林道の光徳ゲート前にクルマを停め、ルームランプの明かりで身支度を始めるが、外は-3℃と冷え込んでいて直ぐに指が悴んでしまう。


ようやく明るくなりかけた5時前にゲートを越えた。と言っても、林道を辿るのではなく、光徳から山王峠への遊歩道となっている波線を追うつもりだった。積雪は20cm位なのだが降ったばかりなのでワカンは沈んでしまうし、野球親爺さんのスノーシューも調子が今一歩で直ぐに外れてしまう。その上、遊歩道の破線にも上手く乗れず、結局は林道歩きを選択して戻ることになった。それでも雪のストレスは相変わらずで、積雪は次第に深くなるし、ワカンでのつぼ足はまるで腿上げの筋トレ状態だった。それでも山王帽子山の登山口を過ぎ、山王峠を越えると、目的の於呂倶羅山が視界に捉えられるようになり、ちょっとばかり元気が出てきた。於呂倶羅山への取り付きとなる尾根先に小さな岩峰ピークが遠くに見えてくる。山王峠からは僅かな下りなのだが、歩き難さは相変わらずで、尾根への取り付きまで2時間半もかかってしまった。写真左は出発前の野球親爺さん、中央は山王峠からの於呂倶羅山で左の薙の上が山頂部、右は山王林道からの尾根取り付き地点


取り付き口となる石積みの横を上がると、鉄塔設備の作業道なのだろうか、歩きやすくほどなく鉄塔となる。その先はちょっと不明瞭となるが尾根筋を辿ると眼前に岩峰が現れた。ここで明らかなミスをした。新雪の乗る岩峰は足掛かりが少なく、雪の下の灌木を支えにやっとのことで登りついた。ところが反対側に降りようとするが、今度は頑固な灌木の枝が行く手を塞ぎままならない。無理して下りても戻りが面倒となるので、一度岩峰手前の鞍部に戻り巻き道を探すことにした。鞍部から少しばかり下降するように左に巻くと、テープは無いが薄い踏み跡らしきものを進むと、岩峰先の鞍部に出ることが出来た。ここからはピンクや赤のテープが沢山あり辿るように進んだ。稜線はほどなく急傾斜となり、笹の上に積もった雪は容易に滑り落ち、グリップを度々失いペースが上がらない。そこでアイゼンで足元を確保しながら、笹の束や木立の幹を支えして登り続けた。尾根への取り付きから2時間の苦闘の末に250mを登り、東の肩に辿り着いた。写真左は1789岩峰ピークの野球親爺さん、中央は急斜面を登る野球親爺さん、右は東の肩手前の急傾斜地で赤テープが続く


今日の天気は完璧なまでの晴天で、東~南~西にかけて素晴らしい絶景が広がっている。ここからは西に位置する最高点までに小さなピークを一つ越え、その間に50mを登ることになるが、新雪は30~40cm近くありラッセルの連続となる。それでも終始左手には絶景があり、思い足を奮い立たせてくれた。そしてスタートから5時間余り、雪に覆われた山頂に登りつめたのだった。感激のあまり熱い握手を交わし、絶景を堪能しながらの昼食とした。真っ白に冠雪した白根山、普段見ることの少ない裏からの太郎山は見事だった。復路はいたって順調で、往路の半分の時間でクルマに戻り、日光でラーメンを食べて家路に着いた。 また一つ、野球親爺さんとの想い出に残る山行が増えた。写真左は山頂からの見える太郎山(左)、中央は三岳とその遠方に見える皇海山、右は空飛ぶコロッケパンと白根山w

白根山からの贈り物・シラネアオイ

和名は白根葵で日光白根山に多産することからこの名前で呼ばれている。一属一種で日本固有の植物らしいが、白根山では5月から7月頃に咲いているが、今では盗掘やシカの食害によって大分少なくなってしまったそうだ。そりシラネアオイが突然届いた。知り合いが20年前から自宅で栽培を続けているもので、その一部を届けてくれたのだ。いやーーー、本当に可愛らしい花ですね。


関東百名山・その72 両神山(りょうがみさん)

この一ヶ月間は残雪狙いで那須から日光辺りの山を集中的に攻めていた。というわけで久しぶりの関東百名山なのだが、半日でも往復が可能な両神山をターゲットに定めた。この山に白井差から入山するには、土地所有者である山中さんに事前予約をすることが条件であるということなので、早速予約を入れ前夜のうちに埼玉に向け高速を飛ばした。23時前に車道のとっつきにある山中邸前の駐車所に着いた。暗闇の中にはネットで見覚えのある立て看板がある。ラジオから流れる天気予報を気にしながら、焼酎の勢いで布団に潜り込んだ。辺りが白みだした5時過ぎに起き出したら、薄雪の木立の中に雪が舞っていた。桜も散りだすこの時期に、雪化粧の両神山にワクワクしながら、湯を沸かしカップ麺で朝食とした。しばらくすると山中さんがやってきて家の中に招き入れてくれた。朴訥とした語りぶりで、電話の時の印象通りの優しい方で、ルート図を見ながら丁寧にポイントを説明してくれた。


6時丁度に山中邸から始まる白井差登山口に入った。最初は廃林道で5分でコンクリート橋となり、渡ると沢の中の登山道となる。いくつかの木橋で左右に渡渉しながら進むと、登山道は沢左岸の杉林の中へと続く。ほどなく右手前方に落差10m位の昇竜ノ滝となる。滝を右手に見送りながら、さらに沢に沿って登って行くが、足元は2、3cmの薄雪で滑り易く注意しながら歩いた。スタートから30分で大岩が前方を塞ぎ、右へ大きく巻くように上がるとオオドリ河原となり、この辺りから芽出し期のコバイケイソウの群落の中の登りとなる。写真左は白井差登山口にある山中さん手書きの規約、中央は昇竜ノ滝近くの左岸にかかる木道、右はコバイケイソウの群落


小尾根に取り付くとそこには水晶坂の標示があり、コースのほぼ中間地点を示していた。尾根道は直ぐに急勾配となり、その傾斜を避けるように右斜面へと登山道は変わり、長い九十九折りの登りが続いた。その後も勾配を避けるように登山道は作られ、ブナ平、夢見平、大笹と通り過ぎると山頂からの稜線となる。ここからは尾根上を辿ればまもなく山頂となる。鎖の下がる大岩を上がると、小さな祠のあるピークとなり、二等三角点と日本百名山の山名標が飛び込んできた。生憎の曇り空で視界はなかった。戻りは往路をピストンしたが、雪でスリップし2度3度転倒しながらも一時間で下った。お出かけした山中さんに代わり奥様に対応いただき、地図を返し、環境整備費1000円をお支払いして白井差を後にした。写真左は水晶坂先の急斜面に続く九十九道、中央は山頂の山名標、右は戻りの時に見た昇竜ノ滝

三岳縦走

木曜日は午前中だけ山に行ける。ということで必須条件は登山口までのアプローチが短いこと。次は残雪期が好適な山。ということで、探し出したらもってこいの山を見つけた。奥日光の三岳だ。残雪期以外の山行記録を見ると、地形的に凸凹起伏が多く、藪も濃く、倒木や大きな岩がゴロゴロしていて、ルートファインディングが難しいとの記述が多い。その中で、栃木の山紀行さんが辿ったルート(2004/11/7)を参考に登ることとした。


金精道路ゲート前登山口に5時過ぎに着いたが、なんと外気温は-10℃を示している。予想外の冷え込みだが、風がないので寒くはない。ゲート前の刈込湖・切込湖へ続く旧林道を入ると直後に雪が現れ、間もなく現れるゲートは雪に半分くらい埋もれている。ゲートを乗越え、曲がりくねった雪道を進むが、冷え込みのため雪面は硬く締まり歩きやすい。歩き始めて30分で、左側に「←湯元に至る」の看板が見えてきて、反対側を見ると案内板の落ちた道標?がある。その奥に薄いトレースがあり、これが光徳牧場への分岐だと分かる。薄い踏み跡と赤テープを辿ると、木立の間に三岳主峰の稜線が見えてきた。ピークに直進するように、せり出した尾根に乗ると勾配が少しずつ増してくる。ここから先は急勾配が連続するのでアイゼンを取り付けた。写真左は林道ゲートだが雪で半分埋もれてる、中央は林道から光徳牧場方面への分岐、右は正面に捉えた三岳と尾根の取り付き


急斜面は100mと150mの2段階で、その間に50mの緩斜面がある。最初の100mの急斜面は、ダケカンバの中の笹原に点在する雪面を繋ぐように九十九に登った。緩斜面に登りつくと再び、ピークに直進するように斜行し次の急斜面に取り付いた。ここからの150mは半端ない急斜面が続き、時には四つん這いとなって直登した。やっとの思いで登りついたのはピークの西側で、広い山頂部を東に進むと三角点と山名板が現れた。 写真左は100mの急斜面、中央は150mの急傾斜、右は三岳山名板


ここからピストンしようかとも考えたが、往路が余りにも急傾斜であったことと、時間的にも余裕があるのでP1910(中央峰)を目指し鞍部に向けて下り始めた。傾斜は急なのだが雪面は締まり難なく鞍部となり、登り返すと直ぐにP1910のなった。南北に広い頂部でピークは北端にあるようだが、それを示すものは何も見当たらなかった。それでも西~北側の展望は抜群で、登り来た三岳主峰や温泉ヶ岳~高薙山~於呂倶羅山の稜線が見事だ。ここまで来るとP1901(東峰)も踏まずには戻れないw 地図を見ると鞍部からの登り返しは急勾配となるので、北側の尾根から取り付くこととし回り込んだ。尾根上にはシカの踏み跡がピークを目指して忠実に伸びており、それを辿ると東~南側に開けたピークとなった。とりわけ男体山と戦場ヶ原の眺めは素晴らしい。下山はそのまま南斜面を下ろうとしたが、植生が密な上に雪も少ないようなので諦め、北側の尾根から鞍部に下りた。その後はP1910と三岳主峰の南斜面をトラバースするように周回し、往路に合流した後は順調に登山口に戻った。写真左はP1910(中央峰)からの高薙山、中央はP1901(東峰)から見た男体山、右はP1901(東峰)から見た三岳主峰と手前に重なるP1910(中央峰)
 

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