東京マラソンは本当に素晴らしい大会でした。個人的には満足のいく走りは出来なかったけど、めちゃくちゃ楽しかったです。応援いただいた皆さん、本当にありがとうございました。
前日の夕方に大学時代の友人と新宿駅西口で待ち合わせて、車でスタート地点となる都庁前周囲を確認した後は、18時からはこの日のために集まってくれた10数人の同級生との激励会(前夜祭)に臨んだ。20数年ぶりに会う同級生もいる中で中華料理に舌鼓をうちつつ美味しいビールを流し込んだ。二次会を終わって友人の家で寝床に入った時には24時を過ぎていた。
朝6時に起きだし、7時30には都庁前のスタート地点に到着した。9時10分のスタートに合わせて8時30分過ぎにはDブロックに入ったが、スタート20分前になると都庁第二庁舎からピンクのビブロをつけた30-40人の集団が僕たちの後ろに入り、その中に有名人が多数混じっていた。エド・はるみ氏、スキーノルディクの荻原兄弟、ペナルティーのワッキー氏、元F1レーサーの片山右京氏、ヤクルトの元監督古田敦也氏などなのだが、なんと古田さんが僕の真横に並んだのだ。スタートまでの15分間、古田さんと肩を合わせる位置に立つことが出来て最高の気分でした。古田さんはテレビで観るのと同じようにとても気さくで飾り気のない方だった。9時10分、石原都知事の号砲とともにスターとなったけど、スタートラインを通過したのはその4分後だ。
古田さんの近くを走っていればテレビにでも映るかと思ったけど、そんなことに神経を使うより自分の走りをしようとキロ6分のペースで走り始めた。スタート直後の靖国通り・厚生年金会館前で友人に渡しておいたカメラでの一コマだけど、元気だった頃w
8km地点でどうしてもトイレに行きたくなって2分のロスをしたが、中間点過ぎまではほぼ予定通りにタイムを刻むことができた。ところが25km手前で突然、両足ふくらはぎの筋肉が震え始め、徐々にスピードがキープできなくなってきた。ちょうどこの頃から雨や時折突風が体を叩き始め、浅草雷門を過ぎ30kmを越えた時には、足は止まり歩き始めていた。ストレッチを何度か繰り返し走り始めるも、また直ぐにケイレンが襲ってくる。その度に沿道からは頑張ってぇーの声援が聞こえてくる。私設エイドのエアースプレーで短時間は蘇生するが、またケイレンが始まる。2重3重の人垣の声援に交じって、バナナ、おにぎり、チョコ、キャンディー等々の食べ物が次々と差し出される。そして沿道の人たちのたくさんの応援に後押しされて4時間56分00秒でゴールに飛び込むことができた。30kmを過ぎてからは足は既に限界を過ぎていたが、不思議と辛くはなかったし、とにかく楽しくて夢のような42.195kmだった。
一番感激したことは、ボランティアの人たちの心温まる応対でした。もちろん来年も走りたいけれど、それよりもボランティアとして参加してみたいと思ったのは僕だけではないはずだ。
前日の夕方に大学時代の友人と新宿駅西口で待ち合わせて、車でスタート地点となる都庁前周囲を確認した後は、18時からはこの日のために集まってくれた10数人の同級生との激励会(前夜祭)に臨んだ。20数年ぶりに会う同級生もいる中で中華料理に舌鼓をうちつつ美味しいビールを流し込んだ。二次会を終わって友人の家で寝床に入った時には24時を過ぎていた。
朝6時に起きだし、7時30には都庁前のスタート地点に到着した。9時10分のスタートに合わせて8時30分過ぎにはDブロックに入ったが、スタート20分前になると都庁第二庁舎からピンクのビブロをつけた30-40人の集団が僕たちの後ろに入り、その中に有名人が多数混じっていた。エド・はるみ氏、スキーノルディクの荻原兄弟、ペナルティーのワッキー氏、元F1レーサーの片山右京氏、ヤクルトの元監督古田敦也氏などなのだが、なんと古田さんが僕の真横に並んだのだ。スタートまでの15分間、古田さんと肩を合わせる位置に立つことが出来て最高の気分でした。古田さんはテレビで観るのと同じようにとても気さくで飾り気のない方だった。9時10分、石原都知事の号砲とともにスターとなったけど、スタートラインを通過したのはその4分後だ。
古田さんの近くを走っていればテレビにでも映るかと思ったけど、そんなことに神経を使うより自分の走りをしようとキロ6分のペースで走り始めた。スタート直後の靖国通り・厚生年金会館前で友人に渡しておいたカメラでの一コマだけど、元気だった頃w
8km地点でどうしてもトイレに行きたくなって2分のロスをしたが、中間点過ぎまではほぼ予定通りにタイムを刻むことができた。ところが25km手前で突然、両足ふくらはぎの筋肉が震え始め、徐々にスピードがキープできなくなってきた。ちょうどこの頃から雨や時折突風が体を叩き始め、浅草雷門を過ぎ30kmを越えた時には、足は止まり歩き始めていた。ストレッチを何度か繰り返し走り始めるも、また直ぐにケイレンが襲ってくる。その度に沿道からは頑張ってぇーの声援が聞こえてくる。私設エイドのエアースプレーで短時間は蘇生するが、またケイレンが始まる。2重3重の人垣の声援に交じって、バナナ、おにぎり、チョコ、キャンディー等々の食べ物が次々と差し出される。そして沿道の人たちのたくさんの応援に後押しされて4時間56分00秒でゴールに飛び込むことができた。30kmを過ぎてからは足は既に限界を過ぎていたが、不思議と辛くはなかったし、とにかく楽しくて夢のような42.195kmだった。
一番感激したことは、ボランティアの人たちの心温まる応対でした。もちろん来年も走りたいけれど、それよりもボランティアとして参加してみたいと思ったのは僕だけではないはずだ。