四郎岳に続いて丸沼周辺で残っている唐沢山と赤沢山、さらに戸倉の堂平山に登ってきた。


唐沢山(1787m、丸沼)へは南側の尾根筋から取り付くことにした。スノーシェードを抜けたところに黄色い落石注意の看板があり、その後方に急勾配を上がる踏み跡がある。余りに勾配がきついので少しばかり西に行くと、やや勾配の緩い植林地となり取り付いた。ほどなく尾根筋に乗るが勾配は半端なくきつい。休み休みの登りとなり、1582Pまでの標高差400mに約1時間を要した。ここからは尾根筋の植生が一変し、ネマガリタケの薮が少しばかり続き、ほどなくアスナロの枝がうるさくなってくる。それでも尾根筋には獣道(人も僅かだが踏んでるであろう)が続いているのでそれを追うように登った。笹薮の山頂にはKUMO氏とフジオカTK氏の山名板が下がっていた。一部南側の視界があり、日光白根山に通じる丸沼高原が一望できた。下りは往路をピストンしたが、それにしてもきつい登りだった。往復:2時間36分。写真左は尾根筋のアスナロ薮、中央は笹薮の山頂


赤沢山(1540m、丸沼)へは鉄塔巡視路を使う最短コースがあるらしいが、何処が取りつきか分からず、地形図にある北側の破線を追うこととし林道を進んだ。ところがその取り付きを見過ごしてしまい、200m位先の新しい林道への分岐まで来てしまった。地形図で見るとこの林道は1555Pの尾根筋に向かうように思えたので、この林道から登ることにした。まだ新しい林道でいくつかの分岐があるが、尾根筋に向かいそうな分岐を選びながら行くと1260地点で終点となった。少しばかり急斜面を上がると1555Pからの尾根筋となり、膝丈程度のクマササ薮の中に続く獣道を使いながら登った。左からの尾根と合流すると途端に勾配は緩み、突然開けた視界の先に鉄塔が現れた。鉄塔には58の看板が下がり、その先に巡視路が続いていた。当初はこのまま1555Pまで尾根筋を登るつもりだったが、先を見ると赤沢山のピーク近くに次の鉄塔が見えるので巡視路を行くことにした。流石に巡視路は軽快で、あっという間に次の59号鉄塔から再び尾根筋を上がった。次第に笹薮は丈を増し、高いところでは胸丈ほどにもなったが密度は薄いので大したことは無い。登りついた山頂には三角点と馴染みの山名板が2枚下がっていた。ここまで1時間15分。下りはどうしても破線の登山道が気になり辿ることにした。北西方向に下ると境界標と赤ペンキのマーキングが続き、160号鉄塔(どうして一桁増えてるのかな?)となる。そのまま巡視路を行くと林道となり最短ルートとなるらしいが、地形図の破線を追って巡視路を59号鉄塔の方に向かった。ほどなく破線の位置と一致する道型となるが既に薮化し荒廃が進んでいた。下るほどに踏み跡はしっかりしてくるが、ほどなく沢沿いとなった登山道は腰丈を越えるイバラ道となった。シダや棘の生えた低灌木が生い茂る鬱蒼とした谷間の登山道である。下るほどに沢筋は太くなり何ヶ所かで渡渉を繰り返し、やっとのことで林道に降り立った。確かに距離的には短いかもしれないが、破線ルートはとてもお勧めできないと感じた。2時間2分で周回した。写真左は取り付いた林道起点、中央は山頂


堂平山(1310m、至仏山)へは南東尾根筋が一番緩やかそうに見えたが、取り付いたのは最短距離と思われた北東尾根だった。理由は近くまで行くと踏み跡らしきものがあったのと、南西尾根からでは50m近く余計に登ることになるからだ。案の定、きつい登りとなった。終始急勾配が続き、距離からすれば30分もあれば登れるだろうと安易に考えていたが、50分間喘ぎ続けてやっとのこと山頂となった。雑木林に囲まれた山頂からの視界はほとんどなく、馴染みの2枚の山名板が下がっているだけだった。1時間11分で往復。写真左は取り付き地点、中央は堂平山山頂